行雲流水 〜お気に召すまま〜

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読書感想:『白いイルカの浜辺』

ジル・ルイスの『白いイルカの浜辺』(評論社)を読み終わりました。

 

作者について

イギリスの作家。おさないころから野生の生き物に興味を持ち、大学では獣医学を専攻。卒業後、獣医として働くかたわら、野生動物との出会いを求めて、さまざまな国を旅行する。バースの大学で子どもの本の創作を学び、執筆活動を開始。

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)

  

概要

けがをしたイルカを守りたい。その気持ちが、やがて「海を守りたい」という熱い想いへとつながってゆく――生きるために底引き網漁を解禁すべきだとする漁師たちと、海を守るために立ち上がった少女カラとの闘いを描いた物語です。

 

内容紹介

カラの母さんは、海洋生物学者です。しかし、野生のイルカの調査中に行方不明になったまま、居場所は掴めていません。カラは、いつか母さんは必ず戻ってくると信じていました。
カラと父さんは、ベヴおばさんの家に居候させてもらっています。ベヴおばさんの他にトムおじさん、娘のデイジーが一緒に暮らしていました。

 

「モアナ号」。そう名付けられたヨットは、カラと、父さんと、母さんのものでした。
しかし、母さんが行方不明になり、借金がふくらむばかりで頭を抱えていた父さんは、モアナ号を売りに出す決意をします。
カラは、モアナ号が売りに出されるなんて信じたくなかったし、別の人間がこの海でモアナ号を走らせるところを見るのはもっと嫌でした。

 

ある日、モアナ号を買ってもいいという人が現われ、週末に会うことになりました。アンダーセンという名のその人には息子が一人いました。
大きなコンピューター画面を見つめている頭が椅子ごと振り返ると、カラと男の子は互いに顔をしかめました。

 

彼の名は、フィリクス。カラの学校に新しく転校してきた生徒で、カラは数日前に学校ですでに会っていたのでした。
フィリクスは、身体に障がいを持っています。その日の学校帰り、デイジーと一緒に立ち寄った店で、カラはフィリクスがジェイクとイーサンに絡まれているのを発見しました。たまらずデイジーが彼らを追い払いフィリクスに声をかけましたが、フィリクスに冷たくあしらわれてしまい、デイジーは彼のことが一気に嫌いになってしまいました。

 

その経緯があったからか、カラは最初とても不快な気持ちになり、表情に露骨に出てしまいました。しかし、いざ話してみると、フィリクスは実はそんなに悪いヤツじゃないということがわかります。
フィリクスはコンピュータが好きでずっとネットゲームばかりしているような子でしたが、カラとの出会いがきっかけとなり、やがてセーリングに興味を持つようになります。

 

フィリクスはとてもじょうずに泳ぎました。実のところ、カラは身体に障がいのあるフィリクスが少しでも泳げるとは思っていなかったのです。
モアナ号の上で、カラが言いました。

 

「あと一週間もすると、底引き網漁が解禁になるの。そしたら、海岸沿いのあちこちからトロール船がやってきて、ホタテ貝をとるために金属の歯で海底を掘り返す。こそげとられるのは、ホタテ貝だけじゃないの。さっき見た世界が、ごっそりこそげとられちゃうんだ。きっと何も残らなくなっちゃう」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、114ページ

 

だったらやめさせればいいと言うフィリクスに、カラは答えます。

 

「言うだけならかんたんだけど、何ができる?ゴムボートに乗って抗議すればトロール船が引き返していくわけ?」私はフィリクスをにらんだ。
 フィリクスは髪をタオルでふきながら言った。
「わかんないよ。でも、それがほんとに大事なことだとすると、おれなら、戦わずにあきらめたりはしないね」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、114ページ

 

しかし、ダギー・エヴァンズという漁師のことを知らないからそんなことが言えるのだと、カラは首を縦に振ろうとしません。
その人物が誰なのか、何があったのかを知りたいフィリクスに対し、カラは過去のことを話し始めます。

 

ダギーはジェイクの父親です。ある出来事からカラの母さんのことをとても憎んでおり、カラのことも嫌っているのでした。ジェイクがカラに嫌がらせをするのも、そのことが原因なのでした。

 

帰宅後、アンダーセンさんから連絡がありました。モアナ号は買いたくなくなった、と。当初は買いたがっていたが、フィリクスの話を聞いて考えが変わったとのことでした。
カラは、笑みが浮かんでくるのをおさえることができませんでした。少なくとも、今はまだモアナ号は私たちのものなのだから。

 

ある日の放課後、カラが小さな入り江まで行ってみると、白いイルカが岸に乗り上げているのが見えました。まだ子どものイルカです。よく見ると、けがをしているようでした。
近くに母イルカがいるのはわかりましたが、カラはどうしたらよいかわかりません。
途方に暮れていると、フィリクスの姿が見えました。フィリクスの後から、アンダーセンさんもこっちに向かってきているようでした。

 

駆けつけたボランティアのカールとグレッグはイルカの状態を見た瞬間、わかってしまいました。

 

「カラ、このイルカは重傷を負っている。こんなふうでは魚をとることもできないし、お母さんのおっぱいも吸うことができない。海にもどしたら、死んでしまうだろう」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、138ページ

 

獣医が到着したら安楽死させてやることがイルカのためだと言うカールに、カラも負けずに主張します。このイルカのお母さんが、ずっと海で待っているのです。しかし、海にもどすことは、安楽死させるよりももっと残酷なことなのでした。

 

なんとかしてイルカを救いたいカラは、イルカにぴったりな場所があると伝えます。アンダーセンさんも、フィリクスも、一緒になってカラの味方をしてくれました。
カールはため息をつきつつも、やれるだけのことはやってみようと、カラの意見に同意します。

 

しかし、状況は好転しませんでした。イルカはなんとかもちこたえてる状態だという。たとえ良くなったとしても、明日までに母イルカが現われなければ、野生で生きていくことは難しいだろうとのことでした。
母イルカを探しに行こうと父さんに懇願するカラ。しかし、父さんは、時間がないと言ってなかなか動いてくれません。

 

「明日は、シフトが三つも入ってるんだよ」
「だけど、お母さんイルカをさがさないと」と、私。「見つけないと。見つからなかったら、子どものイルカは安楽死させられちゃうんだよ」
 父さんはティッシュで口をぬぐって言った。
「いいかい、カラ。今日はカールがさがしまわってた。アンダーセンさんとフィリクスもだよ」
「でも、この湾のことは。あたしたちがいちばんよく知ってるじゃないの。あたしたちなら見つけることができるよ」
「明日は時間がないんだ」父さんは、ティッシュをおくと、自分のお皿をおしやった。
「このごろは、いっつも時間がないんだよね」私はフォークでポテトをつきさしながら言った。
 父さんは私をにらんだ。
「そんな言い方はないだろう、カラ。お金をかせながないといけないんだからな」
「でも、お母さんイルカもさがさないと」
 父さんは立ち上がり、ポテトをくるんであった紙をゴミ箱に入れた。
「海は広いんだよ、カラ。母イルカは、どこにいたっておかしくない。いったいどこをさがそうっていうんだい?」
 私は自分のお皿をおしやって言った。
「父さんは、あきらめちゃったんだね。ほかの人みたいに」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、170~171ページ

 

その日の真夜中、カラは一人で海に出ました。そしてついに、母イルカを見つけます。母イルカもまた、子イルカがどこにいるか突き止めたようでした。

 

翌日の早朝、デイジーとともにプールに向かったカラは、母イルカが現われたことを知らされます。もちろんカラも知っていましたが、口には出しませんでした。
白いイルカを見たデイジーは、名前をたずねます。しかし、名前はありません。人間とはふれあわない方がイルカのためなのだと言う獣医の話も聞かず、デイジーは白いイルカに「エンジェル」と名付けました。

 

名前があった方がいいとは、最近たずねてきた人物にも言われたようでした。その人物とは地方新聞の記者です。カール曰く、このイルカに関心を持つ人が多くいるとのことでした。

 

カールは、これをまたとないチャンスだと捉えました。海洋生物レスキュー隊の活動や、海の生き物がどんな危険にさらされているかを、人びとに知ってもらえると思ったのです。
フィリクスも賛成でした。もうすぐ解禁されてしまう底引き網漁によってサンゴ礁がどれほど痛めつけられてしまうかを、イルカを見に来た人たちに話すべきだと言います。

 

カラは大反対でした。イルカを見せ物にしている、イルカを見せなくてもサンゴ礁のことを考えてもらわないといけない、と頑なに拒否します。
しかし、フィリクスには考えがあるようでした。

 

「インターネットを使うんだよ」とフィリクスはにやっと笑いながら言った。「ウェブサイトや、SNSのサイトや、ブログやツイッターなんかを使って、おおぜいの人を巻きこむんだよ」
「うまくいくはずないよ」私は首を横にふった。
 フィリクスは片手をあげて言った。
「どうして、カラ?少なくとも、試してみるべきだよ。サンゴ礁があらされるのを止めるための署名をネットで集めることだってできるんだ」
「むだよ」と、私は言った。「好きなだけおバカなブログをやってみればいいし、署名もどっさり集めればいいけど、そんなことしてもうまくいかないと思うな。トロール船の持ち主にサンゴ礁を救おうと思ってもらわないかぎり、だめよ」

引用元:ジル・ルイスの『白いイルカの浜辺』(評論社)、190ページ

 

学校へ着き、休み時間が終わる頃、カラはフィリクスに呼び出されました。カーター先生が自分たちと話がしたいという。
カラがうんざりしながら部屋に向かうと、そこには他にもクラスメートたちの顔が見えました。
フィリクスは、エンジェルのことをみんなに話し、学校全体でとりくむことができないかとカーター先生に提案していたのです。

 

カラは信じられませんでした。私たちが見つけたイルカなのに・・・なぜフィリクスが勝手にみんなにも分け前を与えようとしているのか。
サンゴ礁を救うためにはできるだけ多くの助けがいると主張するフィリクスに、カラは頑として譲りません。このままでもできる、手伝いは足りている――。
みんなも負けていません。この湾を守りたいという想い、底引き網漁が解禁になることを望んでいないのは、みんな同じなのです。これは誰にとっても、大事なことなのでした。

 

半信半疑のカラに、フィリクスが言います。

 

「うまくいくようにやるのさ、カラ。一週間もしないうちに禁止が解ける。おれたちにできることは、これしかない」

引用元:ジル・ルイスの『白いイルカの浜辺』(評論社)、194ページ

 

集会までの残り期間はわずかなものでしたが、その間にカラたちはできるだけのことをしました。集会には大勢の人が集まり、カールの話が始まりました。
カールはグラフなどを使ってサンゴ礁を救うプロジェクトの説明をしましたが、しかしみんなが興味のあるのはエンジェルのことばかりで、だれもちゃんと聞いてくれません。

 

カールの話が終わり、代わりに立ち上がったのはダギー・エヴァンズでした。ダギーは壇上に上がると、話し始めました。
その内容は、底引き網漁がどれほど重要かであることを述べたものでした。この町は漁業で成り立っていること、サンゴ礁はそんなにすぐにはなくならないこと、新鮮なホタテ貝を今後も口にしたいのなら漁師たちを支えてほしいこと、禁止のための署名をしないでほしいこと。

 

パラパラと拍手があがります。ダギーが勝ち誇ったように笑ったとき、さえぎる者がありました。
フィリクスの声でした。その手には、イルカのメモリースティックが握られています。それはカラがずっと大事にしていた母さんの持ち物で、パスワードがかかっているためにずっと中を見ることができないでいたのでした。

 

フィリクスによってついにパスワードが解除されたそのメモリースティックには、とても大事なことが残されていると言う。
すでに講堂を出ようとしている人もちらほらいましたが、このチャンスを逃してはなりません。フィリクスに促されるままにカラは話し始め、時間を稼ぎました。

 

やがてスクリーンに映し出されたのは、海の中に広がる大自然でした。吹き込まれているのは、カラの母さんの声です。しかし突然、引き裂くような音が講堂に響いたかと思うとスクリーンの場面は変わり、破壊し尽くされた海底の様子が映し出されていました。

 

「私たちが海を守らないかぎり、あれはてた不毛の地しか残りません。私たちは海の農夫ではないのです。種をまかずに刈りとるだけなのですから」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、210ページ

 

集会が終わり、署名はどっさり集まったようでした。漁師たちの署名については、まだわかりません。
そうこうしているうちに、エンジェルを海にもどす時が来ました。

 

翌日、エンジェルは母イルカの元に静かに帰っていきました。
その日の新聞では、署名運動について書かれていました。600以上の署名が集まったのです。漁師さんたちも、賛成してくれたのでした。

 

しかし、ダギーは新聞を見て怒り狂っていました。真夜中の潮に乗って漁に出ると言い張っています。
結局なんにもならなかったと言うカラ。しかし、エンジェルを救ったことだけは意味があったと、フィリクスは励まします。

 

二人がモアナ号に向かうと、そこにはジェイクとイーサンがいました。二人をどかそうとするカラですが、カラの父さんがモアナ号をダギーに売ってしまったことを聞かされます。
父さんとしては、すべてはカラのためにしたことだったのです。しかし、カラには信じられませんでした。

 

やがてダギーがホホオジロザメを捕まえたというニュースが港じゅうを駆け巡りました。とりあえず行ってみることにしたカラとフィリクス。
しかし、それはホホオジロザメではありませんでした。ジェイクがにやにやしながらカラに自慢げに話しかけます。
たどり着いた港でカラとフィリクスが見たのは、エンジェルのお母さんの死体でした――。

 

町ではセーリングのレースが行われることになっていましたが、嵐が来ることもあり、その日レースは中止になっていました。
しかし、ジェイクとイーサンは、この嵐の中で勝負をしようとカラとフィリクスに持ちかけてきます。

 

カラとフィリクスの制止も聞かず、ジェイクとイーサンは荒れ狂った海にモアナ号を出します。
このままにしてはおけないと、ヨットで後を追いかけるカラとフィリクス。イーサンが海に投げ出されるのが見えました。ジェイクも必死でモアナ号にしがみついています。
自分たちも波に呑まれそうになりながらも、二人はなんとか無事にジェイクとイーサンを救出することができました。

 

・・・カラが目を開けると、すでに夕方になっていました。じっと自分を見つめるデイジーに連れられておばさんたちの寝室に行ってみると、そこには毛布にくるまれた赤ちゃんがいました。
デイジーに妹ができたのです。名前をたずねるカラに、デイジーが答えます。

 

「あたしが選んだの。モーって呼ぶことにしたんだ。モアナを短くしたんだよ。でも、あたしたちにはモーでいいの」
 私の目に熱い涙がうかんできた。

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、279ページ

 

その後、カラが父さんとともに日の光の中へ出るとダギー・エヴァンズが小道をやってくるのが見えました。ダギーはカラに向き直ると、静かに言いました。

 

「あんたがいなかったら、うちの息子は死んでたよ」
 私は父さんを見、それからダギーを見てつぶやいた。
「あたしだけの力じゃないです」
 ダギーは顔をしかめながらつづけた。
「ジェイクがおかしなことも言ってたよ。白いイルカに命を救われたとな。イルカが下に来て体を持ちあげてくれたというんだ」
 (中略)
「真実はいつも目の前にあったんだがな」ダギーが言った。「おれは見ないようにしてたんだ」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、280ページ

 

そしてダギーは、底引き網漁をやめる署名用紙にサインしたことをカラと父さんに告げました。それだけではなく、網にイルカがかからないような新たな漁法を試す書類にも、ダギーはサインしてくれたのです。

 

ダギーは、自分のトロール船に仕事の口があると父さんに紹介してくれましたが、父さんはすでに仕事が見つかったことをダギーに告げました。
カラと父さんが住む新しい家も決まり、そこに向かうとすでにたくさんの仲間たちが待ってくれていました。

 

カラには、ダギーの「真実はいつも目の前にあったけど、見ないようにしてた」という言葉を聞いて、わかったことがありました。
母さんが行方不明になった時、何があったか実際には知りようがないけれども、母さんはその夜に亡くなったんだということを。
モアナ号は嵐の夜に壊れてしまったけれど、父さんはまた二人で新しいのをつくろうと言ってくれました。

 

海の向こうに、イルカの群れが泳いでいました。その時、エンジェルが大きくとび上がるのを、カラは確かに見たのです。
去りゆくエンジェルを見つめながら、この物語は幕を閉じます。

 

感想

環境問題が叫ばれてから久しい年月が経っていますが、環境破壊は留まるどころかますます増えていく一方の時代になりました。

 

夫と車でドライブ中にふと外を見やると、そこらじゅうに目に付くものがあります。
道路脇に平然と捨てられている空き缶。飲みかけのペットボトル。明らかに食べかけのパン。木に絡まったビニール袋。川に捨てられた家電。
海の近くを走行することがあると、やはり無造作に捨てられたゴミたちの姿が目に付きます。

 

・・・当時と比べれば格段に環境への意識は高まっているものの、いまだこんなことが平然と行われていることも事実です。土を、森を、空を、そしてこの本の舞台である海を、人間は今でも汚し続けています。

 

この本のあとがきで、作者であるジル・ルイスは語っています。

 

 こわれやすい海が、私たちの見えないところ、知らないところで破壊され続けているのを知って、私はとてもこわくなりました。人間はいつになったら、気づくのでしょうか?波間をとび跳ねるイルカは、そのうちもういなくなってしまうかもしれないのです。私たちの食卓にも、そのうち魚は登場しなくなってしまうかもしれないのです。

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、291ページ

 

日本人は、「魚食の民」と言われています。(長崎福三『魚食の民』(講談社)より)
我々は、世界中のどの国の人たちよりも魚を愛し、魚を食する国民です。私自身も、肉よりも魚が好きです。
そんな大好きな魚が食卓から姿を消してしまったら、お寿司屋さんがなくなってしまったら・・・食べる楽しみがなくなってしまうとは言い過ぎかもしれませんが、やはり物足りなさは感じるでしょう。

 

こうした問題はそのスケールの大きさもあってどうしても他人事に思いがちだし、現にまだこうして普通に魚を食べることができている以上、なかなか身近な問題として考えることが難しいのは仕方のないことなのかもしれません。

 

しかし、魚食を愛するからこそ、目を背けてはいけない問題なのだと強く感じます。
じゃあそのためにどうするのか――当たり前のことしか言えないけれども、まずは自分にできることから少しずつ。やはりこれに尽きると思います。

 

ビニール袋をできる限り使わないとか、必要以上に水を使わないとか、できることはあるはず・・・。
小さなことかもしれないけれど、どんなに小さなことでも、それを積み上げていけばきっと大きな力になる――そう信じて、私自身ももっと普段から環境問題を意識していこうと思いました。