行雲流水 〜お気に召すまま〜

好きなことを好きなように好きなときに書くブログです。

やっぱ泣くしかないですよね

ということで、昨日は金曜ロードショーで『タイタニック』の後編を観てました。

 

前回のブログでも書いた通り、タイタニックは実家のビデオで何回も観ました。内容も結末も知っているとはいえ、何度観ても毎回同じところで泣いてしまいます。

 

沈みゆく船上にありながらも、パニックを防ぐために音楽を奏で続ける楽士たち。
船の中を死に場所と定め、ベッドの上で抱き合いながら海水に呑まれてゆく老夫婦。
最期は紳士らしく死にたいと、正装した上からの救命胴衣の着用を拒否した男性。
運命を受け入れ、客室で静かに子供たちを寝かしつける母親。

 

・・・もう思い出すだけでも涙、涙です。

 

今回改めてこの映画を観て思ったのは、船ってこんなに簡単に沈んでしまうんだなと。あんなに巨大な船が、です。
流れ込んでくる水の勢いが本当に早すぎて、画面越しに観ていても恐怖でしかありませんでした。
「絶対に沈まない」ともてはやされていた船が、いとも簡単に沈む。自然を相手にしては、人間というのはこんなにも無力なんですね・・・。

 

人間の本質って、こういう非常時に如実に出てくるんだなということを思い知らされました。

 

我先に助かろうと押し合いへし合いする人びと。カネに物を言わせて助かろうとする者。ボートに乗りきらない乗客を差し置いて真っ先に逃げ出すタイタニック関係者――。

 

そりゃ誰だって死にたくないし、ましてやこんな形で最期を迎えたいなんて思う人はいないでしょう。
自分が乗った船が沈もうとしているんです。冷静でいられるはずがありません。

 

もしも実際に自分がこのような状況に遭遇したら――私だってきっと冷静ではいられないでしょうし、「何が何でも助かりたい」と思うでしょう。
さすがに、人を押しのけてまで自分が自分が、とはなりたくないと思ってはいますが・・・。

 

そんな中でも、「これが自分の使命」と最期まで職務を全うした人たちや、覚悟を決めて船内で最期を迎えようとした人たちの生き様が、とても美しく思えました。

 

これは現実にあった事故をもとにしている映画なので、決して美化してはいけないことはわかっています。
でも、人間という生きものが非常時にどういう行動を取るのか、その状況から抜け出すことができないとわかった時にどんな最期を選択するのか。大いに考えさせてくれる映画でもあると私は思っています。

 

タイタニック号の問題点の一つは、そもそも船の定員全員が乗れるだけの救命ボートが用意されていなかったことです。定員ギリギリまで乗せたとしても、助かる人数は全乗員乗客の半分――。
それをわかっていながらも、定員でギュウ詰めになったボートに乗るのは勘弁だと言った者もいたことが、私には腹立たしくて仕方ありませんでした。

 

後世に大きな教訓を残すことになったタイタニック

 

かなしい事故です。絶対にあってはなりません。まして、乗客の階級によって救助が後回しにされることなど、本来絶対に許されるべきことではありません。
救えたはずの、もっと多くのいのち――タイタニックと運命をともにした人びとのためにも、もう二度と、こんな事故は起きないでほしいです。

 

・・・長くなってしまいました。まとめるととにかく素晴らしい映画であることは間違いないです。
公開から25年経ってもファンが多いというのもうなずけます。

 

後編はパニック映画さながらの迫力あるシーンも多いので、私自身も画面を見ながら息を詰めたり束の間ホッとしたり、TVに釘付けでした。

 

CMを挟まずに通して観たくなってきたので、近々レンタルでもしようと思います。(きっと私と同じことを考えている人は多いはず・・・)