行雲流水 〜お気に召すまま〜

好きなことを好きなように好きなときに書くブログです。

やる時は、やる

今週のお題「やる気が出ない」ということで、今日はお題について書きます。

 

やる気ね・・・出ないですよね(笑)
やらないといけないことはたくさんあるのですが、梅雨入りが近いせいもあってか雨の日が多くて、それもあってかなかなか気持ちも上がりません。

 

部屋の片付け

最後に掃除機かけたのは一体いつなんだろうというくらい、いま部屋の中がめちゃくちゃです・・・。

 

夫も私もなかなか片付けられない人間でして。
モノはあちこち散らばってるし、脱いだ衣類はそのへんに放置、冷蔵庫から出したら出しっぱなし(これは夫のみ)、本は積み上がっていくばかり(私のみ)。

 

休日に「さぁ今日こそ掃除しよう!」と思っても、部屋の状態を見た瞬間に一気にやる気なくします(笑)

 

ちなみに、いま住んでいる家には4年ほど前に引っ越してきたのですが、その時の荷物もいまだに全部出していないという状況です。こりゃもう末期ですね・・・。

 

部屋が片付いてないとなると、いよいよ奴が出てくるわけです。季節としても、ちょうど見かけるようになる頃ですね。Gという名の人類の敵を・・・。
さっそく昨日現れました。私が一人で大騒ぎする中、夫は至って冷静に素手でバシッ。

 

・・・ほんと嫌な季節になりました。

 

家事全般

家事ってほんと、めんどくさいですよね。

 

あ、料理はそれなりに楽しんでやってます。得意ではないけど。一番めんどくさいのが、その後の食器洗い・・・。
溜めておいて後からやるとなるともっと面倒になるので、食器洗いだけは食後にすぐやるようにしています。これは夫も協力してくれているので、助かってます。

 

後回しにしがちなのは、いろんな箇所の掃除ですね(やっぱり)

 

風呂場もトイレも洗面台も、汚さの我慢の限界が来るまで掃除しません。
そうは言っても、夫と私とでは耐えられる汚さの限界も違うので、私の方が「ホンマにもうこれマジでアカン」と思ったらさすがに掃除します。

 

・・・こう書くと、このブログを読んでくださってる方、きっとドン引きされてますよね(苦笑)
秋月さんて、もしかしてものすごく不潔なのでは・・・?と思われても仕方ない書きっぷりですが、シャワーはきちんと浴びてます(笑)

 

どこもかしこもカビだらけ!ということはないです。ギリギリまでやる気が出ないだけなんです。どうか引かないでください。
部屋の片付けにしても家事全般にしても、ほんとギリギリ限界が来るその時までやらないだけで、やる時はやるんです。

 

仕事

まぁ、仕事というものはいつでもやる気は出ないものだと思っています(笑)

 

長期連休ともなると、休み明けのやる気の無さがハンパじゃないです。
なんでしょうね、なんで「仕事」ってだけで、こんなにやる気出ないんでしょうね。

 

「好きでやっている仕事」と「仕方なしにやっている仕事」だとモチベーションも当然違ってくるとは思うのですが、好きなこと・やりたいことを仕事にしている人でも、やる気が出なくなることってあるんでしょうか。

 

気になります。

 

・・・以上、ダラダラと綴ってみました。

 

やる気のない毎日でも、読書とブログは楽しんでやっております。
読んでくださっている皆様、いつも本当にありがとうございます!

 

読書感想:『白いイルカの浜辺』

ジル・ルイスの『白いイルカの浜辺』(評論社)を読み終わりました。

 

作者について

イギリスの作家。おさないころから野生の生き物に興味を持ち、大学では獣医学を専攻。卒業後、獣医として働くかたわら、野生動物との出会いを求めて、さまざまな国を旅行する。バースの大学で子どもの本の創作を学び、執筆活動を開始。

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)

  

概要

けがをしたイルカを守りたい。その気持ちが、やがて「海を守りたい」という熱い想いへとつながってゆく――生きるために底引き網漁を解禁すべきだとする漁師たちと、海を守るために立ち上がった少女カラとの闘いを描いた物語です。

 

内容紹介

カラの母さんは、海洋生物学者です。しかし、野生のイルカの調査中に行方不明になったまま、居場所は掴めていません。カラは、いつか母さんは必ず戻ってくると信じていました。
カラと父さんは、ベヴおばさんの家に居候させてもらっています。ベヴおばさんの他にトムおじさん、娘のデイジーが一緒に暮らしていました。

 

「モアナ号」。そう名付けられたヨットは、カラと、父さんと、母さんのものでした。
しかし、母さんが行方不明になり、借金がふくらむばかりで頭を抱えていた父さんは、モアナ号を売りに出す決意をします。
カラは、モアナ号が売りに出されるなんて信じたくなかったし、別の人間がこの海でモアナ号を走らせるところを見るのはもっと嫌でした。

 

ある日、モアナ号を買ってもいいという人が現われ、週末に会うことになりました。アンダーセンという名のその人には息子が一人いました。
大きなコンピューター画面を見つめている頭が椅子ごと振り返ると、カラと男の子は互いに顔をしかめました。

 

彼の名は、フィリクス。カラの学校に新しく転校してきた生徒で、カラは数日前に学校ですでに会っていたのでした。
フィリクスは、身体に障がいを持っています。その日の学校帰り、デイジーと一緒に立ち寄った店で、カラはフィリクスがジェイクとイーサンに絡まれているのを発見しました。たまらずデイジーが彼らを追い払いフィリクスに声をかけましたが、フィリクスに冷たくあしらわれてしまい、デイジーは彼のことが一気に嫌いになってしまいました。

 

その経緯があったからか、カラは最初とても不快な気持ちになり、表情に露骨に出てしまいました。しかし、いざ話してみると、フィリクスは実はそんなに悪いヤツじゃないということがわかります。
フィリクスはコンピュータが好きでずっとネットゲームばかりしているような子でしたが、カラとの出会いがきっかけとなり、やがてセーリングに興味を持つようになります。

 

フィリクスはとてもじょうずに泳ぎました。実のところ、カラは身体に障がいのあるフィリクスが少しでも泳げるとは思っていなかったのです。
モアナ号の上で、カラが言いました。

 

「あと一週間もすると、底引き網漁が解禁になるの。そしたら、海岸沿いのあちこちからトロール船がやってきて、ホタテ貝をとるために金属の歯で海底を掘り返す。こそげとられるのは、ホタテ貝だけじゃないの。さっき見た世界が、ごっそりこそげとられちゃうんだ。きっと何も残らなくなっちゃう」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、114ページ

 

だったらやめさせればいいと言うフィリクスに、カラは答えます。

 

「言うだけならかんたんだけど、何ができる?ゴムボートに乗って抗議すればトロール船が引き返していくわけ?」私はフィリクスをにらんだ。
 フィリクスは髪をタオルでふきながら言った。
「わかんないよ。でも、それがほんとに大事なことだとすると、おれなら、戦わずにあきらめたりはしないね」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、114ページ

 

しかし、ダギー・エヴァンズという漁師のことを知らないからそんなことが言えるのだと、カラは首を縦に振ろうとしません。
その人物が誰なのか、何があったのかを知りたいフィリクスに対し、カラは過去のことを話し始めます。

 

ダギーはジェイクの父親です。ある出来事からカラの母さんのことをとても憎んでおり、カラのことも嫌っているのでした。ジェイクがカラに嫌がらせをするのも、そのことが原因なのでした。

 

帰宅後、アンダーセンさんから連絡がありました。モアナ号は買いたくなくなった、と。当初は買いたがっていたが、フィリクスの話を聞いて考えが変わったとのことでした。
カラは、笑みが浮かんでくるのをおさえることができませんでした。少なくとも、今はまだモアナ号は私たちのものなのだから。

 

ある日の放課後、カラが小さな入り江まで行ってみると、白いイルカが岸に乗り上げているのが見えました。まだ子どものイルカです。よく見ると、けがをしているようでした。
近くに母イルカがいるのはわかりましたが、カラはどうしたらよいかわかりません。
途方に暮れていると、フィリクスの姿が見えました。フィリクスの後から、アンダーセンさんもこっちに向かってきているようでした。

 

駆けつけたボランティアのカールとグレッグはイルカの状態を見た瞬間、わかってしまいました。

 

「カラ、このイルカは重傷を負っている。こんなふうでは魚をとることもできないし、お母さんのおっぱいも吸うことができない。海にもどしたら、死んでしまうだろう」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、138ページ

 

獣医が到着したら安楽死させてやることがイルカのためだと言うカールに、カラも負けずに主張します。このイルカのお母さんが、ずっと海で待っているのです。しかし、海にもどすことは、安楽死させるよりももっと残酷なことなのでした。

 

なんとかしてイルカを救いたいカラは、イルカにぴったりな場所があると伝えます。アンダーセンさんも、フィリクスも、一緒になってカラの味方をしてくれました。
カールはため息をつきつつも、やれるだけのことはやってみようと、カラの意見に同意します。

 

しかし、状況は好転しませんでした。イルカはなんとかもちこたえてる状態だという。たとえ良くなったとしても、明日までに母イルカが現われなければ、野生で生きていくことは難しいだろうとのことでした。
母イルカを探しに行こうと父さんに懇願するカラ。しかし、父さんは、時間がないと言ってなかなか動いてくれません。

 

「明日は、シフトが三つも入ってるんだよ」
「だけど、お母さんイルカをさがさないと」と、私。「見つけないと。見つからなかったら、子どものイルカは安楽死させられちゃうんだよ」
 父さんはティッシュで口をぬぐって言った。
「いいかい、カラ。今日はカールがさがしまわってた。アンダーセンさんとフィリクスもだよ」
「でも、この湾のことは。あたしたちがいちばんよく知ってるじゃないの。あたしたちなら見つけることができるよ」
「明日は時間がないんだ」父さんは、ティッシュをおくと、自分のお皿をおしやった。
「このごろは、いっつも時間がないんだよね」私はフォークでポテトをつきさしながら言った。
 父さんは私をにらんだ。
「そんな言い方はないだろう、カラ。お金をかせながないといけないんだからな」
「でも、お母さんイルカもさがさないと」
 父さんは立ち上がり、ポテトをくるんであった紙をゴミ箱に入れた。
「海は広いんだよ、カラ。母イルカは、どこにいたっておかしくない。いったいどこをさがそうっていうんだい?」
 私は自分のお皿をおしやって言った。
「父さんは、あきらめちゃったんだね。ほかの人みたいに」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、170~171ページ

 

その日の真夜中、カラは一人で海に出ました。そしてついに、母イルカを見つけます。母イルカもまた、子イルカがどこにいるか突き止めたようでした。

 

翌日の早朝、デイジーとともにプールに向かったカラは、母イルカが現われたことを知らされます。もちろんカラも知っていましたが、口には出しませんでした。
白いイルカを見たデイジーは、名前をたずねます。しかし、名前はありません。人間とはふれあわない方がイルカのためなのだと言う獣医の話も聞かず、デイジーは白いイルカに「エンジェル」と名付けました。

 

名前があった方がいいとは、最近たずねてきた人物にも言われたようでした。その人物とは地方新聞の記者です。カール曰く、このイルカに関心を持つ人が多くいるとのことでした。

 

カールは、これをまたとないチャンスだと捉えました。海洋生物レスキュー隊の活動や、海の生き物がどんな危険にさらされているかを、人びとに知ってもらえると思ったのです。
フィリクスも賛成でした。もうすぐ解禁されてしまう底引き網漁によってサンゴ礁がどれほど痛めつけられてしまうかを、イルカを見に来た人たちに話すべきだと言います。

 

カラは大反対でした。イルカを見せ物にしている、イルカを見せなくてもサンゴ礁のことを考えてもらわないといけない、と頑なに拒否します。
しかし、フィリクスには考えがあるようでした。

 

「インターネットを使うんだよ」とフィリクスはにやっと笑いながら言った。「ウェブサイトや、SNSのサイトや、ブログやツイッターなんかを使って、おおぜいの人を巻きこむんだよ」
「うまくいくはずないよ」私は首を横にふった。
 フィリクスは片手をあげて言った。
「どうして、カラ?少なくとも、試してみるべきだよ。サンゴ礁があらされるのを止めるための署名をネットで集めることだってできるんだ」
「むだよ」と、私は言った。「好きなだけおバカなブログをやってみればいいし、署名もどっさり集めればいいけど、そんなことしてもうまくいかないと思うな。トロール船の持ち主にサンゴ礁を救おうと思ってもらわないかぎり、だめよ」

引用元:ジル・ルイスの『白いイルカの浜辺』(評論社)、190ページ

 

学校へ着き、休み時間が終わる頃、カラはフィリクスに呼び出されました。カーター先生が自分たちと話がしたいという。
カラがうんざりしながら部屋に向かうと、そこには他にもクラスメートたちの顔が見えました。
フィリクスは、エンジェルのことをみんなに話し、学校全体でとりくむことができないかとカーター先生に提案していたのです。

 

カラは信じられませんでした。私たちが見つけたイルカなのに・・・なぜフィリクスが勝手にみんなにも分け前を与えようとしているのか。
サンゴ礁を救うためにはできるだけ多くの助けがいると主張するフィリクスに、カラは頑として譲りません。このままでもできる、手伝いは足りている――。
みんなも負けていません。この湾を守りたいという想い、底引き網漁が解禁になることを望んでいないのは、みんな同じなのです。これは誰にとっても、大事なことなのでした。

 

半信半疑のカラに、フィリクスが言います。

 

「うまくいくようにやるのさ、カラ。一週間もしないうちに禁止が解ける。おれたちにできることは、これしかない」

引用元:ジル・ルイスの『白いイルカの浜辺』(評論社)、194ページ

 

集会までの残り期間はわずかなものでしたが、その間にカラたちはできるだけのことをしました。集会には大勢の人が集まり、カールの話が始まりました。
カールはグラフなどを使ってサンゴ礁を救うプロジェクトの説明をしましたが、しかしみんなが興味のあるのはエンジェルのことばかりで、だれもちゃんと聞いてくれません。

 

カールの話が終わり、代わりに立ち上がったのはダギー・エヴァンズでした。ダギーは壇上に上がると、話し始めました。
その内容は、底引き網漁がどれほど重要かであることを述べたものでした。この町は漁業で成り立っていること、サンゴ礁はそんなにすぐにはなくならないこと、新鮮なホタテ貝を今後も口にしたいのなら漁師たちを支えてほしいこと、禁止のための署名をしないでほしいこと。

 

パラパラと拍手があがります。ダギーが勝ち誇ったように笑ったとき、さえぎる者がありました。
フィリクスの声でした。その手には、イルカのメモリースティックが握られています。それはカラがずっと大事にしていた母さんの持ち物で、パスワードがかかっているためにずっと中を見ることができないでいたのでした。

 

フィリクスによってついにパスワードが解除されたそのメモリースティックには、とても大事なことが残されていると言う。
すでに講堂を出ようとしている人もちらほらいましたが、このチャンスを逃してはなりません。フィリクスに促されるままにカラは話し始め、時間を稼ぎました。

 

やがてスクリーンに映し出されたのは、海の中に広がる大自然でした。吹き込まれているのは、カラの母さんの声です。しかし突然、引き裂くような音が講堂に響いたかと思うとスクリーンの場面は変わり、破壊し尽くされた海底の様子が映し出されていました。

 

「私たちが海を守らないかぎり、あれはてた不毛の地しか残りません。私たちは海の農夫ではないのです。種をまかずに刈りとるだけなのですから」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、210ページ

 

集会が終わり、署名はどっさり集まったようでした。漁師たちの署名については、まだわかりません。
そうこうしているうちに、エンジェルを海にもどす時が来ました。

 

翌日、エンジェルは母イルカの元に静かに帰っていきました。
その日の新聞では、署名運動について書かれていました。600以上の署名が集まったのです。漁師さんたちも、賛成してくれたのでした。

 

しかし、ダギーは新聞を見て怒り狂っていました。真夜中の潮に乗って漁に出ると言い張っています。
結局なんにもならなかったと言うカラ。しかし、エンジェルを救ったことだけは意味があったと、フィリクスは励まします。

 

二人がモアナ号に向かうと、そこにはジェイクとイーサンがいました。二人をどかそうとするカラですが、カラの父さんがモアナ号をダギーに売ってしまったことを聞かされます。
父さんとしては、すべてはカラのためにしたことだったのです。しかし、カラには信じられませんでした。

 

やがてダギーがホホオジロザメを捕まえたというニュースが港じゅうを駆け巡りました。とりあえず行ってみることにしたカラとフィリクス。
しかし、それはホホオジロザメではありませんでした。ジェイクがにやにやしながらカラに自慢げに話しかけます。
たどり着いた港でカラとフィリクスが見たのは、エンジェルのお母さんの死体でした――。

 

町ではセーリングのレースが行われることになっていましたが、嵐が来ることもあり、その日レースは中止になっていました。
しかし、ジェイクとイーサンは、この嵐の中で勝負をしようとカラとフィリクスに持ちかけてきます。

 

カラとフィリクスの制止も聞かず、ジェイクとイーサンは荒れ狂った海にモアナ号を出します。
このままにしてはおけないと、ヨットで後を追いかけるカラとフィリクス。イーサンが海に投げ出されるのが見えました。ジェイクも必死でモアナ号にしがみついています。
自分たちも波に呑まれそうになりながらも、二人はなんとか無事にジェイクとイーサンを救出することができました。

 

・・・カラが目を開けると、すでに夕方になっていました。じっと自分を見つめるデイジーに連れられておばさんたちの寝室に行ってみると、そこには毛布にくるまれた赤ちゃんがいました。
デイジーに妹ができたのです。名前をたずねるカラに、デイジーが答えます。

 

「あたしが選んだの。モーって呼ぶことにしたんだ。モアナを短くしたんだよ。でも、あたしたちにはモーでいいの」
 私の目に熱い涙がうかんできた。

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、279ページ

 

その後、カラが父さんとともに日の光の中へ出るとダギー・エヴァンズが小道をやってくるのが見えました。ダギーはカラに向き直ると、静かに言いました。

 

「あんたがいなかったら、うちの息子は死んでたよ」
 私は父さんを見、それからダギーを見てつぶやいた。
「あたしだけの力じゃないです」
 ダギーは顔をしかめながらつづけた。
「ジェイクがおかしなことも言ってたよ。白いイルカに命を救われたとな。イルカが下に来て体を持ちあげてくれたというんだ」
 (中略)
「真実はいつも目の前にあったんだがな」ダギーが言った。「おれは見ないようにしてたんだ」

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、280ページ

 

そしてダギーは、底引き網漁をやめる署名用紙にサインしたことをカラと父さんに告げました。それだけではなく、網にイルカがかからないような新たな漁法を試す書類にも、ダギーはサインしてくれたのです。

 

ダギーは、自分のトロール船に仕事の口があると父さんに紹介してくれましたが、父さんはすでに仕事が見つかったことをダギーに告げました。
カラと父さんが住む新しい家も決まり、そこに向かうとすでにたくさんの仲間たちが待ってくれていました。

 

カラには、ダギーの「真実はいつも目の前にあったけど、見ないようにしてた」という言葉を聞いて、わかったことがありました。
母さんが行方不明になった時、何があったか実際には知りようがないけれども、母さんはその夜に亡くなったんだということを。
モアナ号は嵐の夜に壊れてしまったけれど、父さんはまた二人で新しいのをつくろうと言ってくれました。

 

海の向こうに、イルカの群れが泳いでいました。その時、エンジェルが大きくとび上がるのを、カラは確かに見たのです。
去りゆくエンジェルを見つめながら、この物語は幕を閉じます。

 

感想

環境問題が叫ばれてから久しい年月が経っていますが、環境破壊は留まるどころかますます増えていく一方の時代になりました。

 

夫と車でドライブ中にふと外を見やると、そこらじゅうに目に付くものがあります。
道路脇に平然と捨てられている空き缶。飲みかけのペットボトル。明らかに食べかけのパン。木に絡まったビニール袋。川に捨てられた家電。
海の近くを走行することがあると、やはり無造作に捨てられたゴミたちの姿が目に付きます。

 

・・・当時と比べれば格段に環境への意識は高まっているものの、いまだこんなことが平然と行われていることも事実です。土を、森を、空を、そしてこの本の舞台である海を、人間は今でも汚し続けています。

 

この本のあとがきで、作者であるジル・ルイスは語っています。

 

 こわれやすい海が、私たちの見えないところ、知らないところで破壊され続けているのを知って、私はとてもこわくなりました。人間はいつになったら、気づくのでしょうか?波間をとび跳ねるイルカは、そのうちもういなくなってしまうかもしれないのです。私たちの食卓にも、そのうち魚は登場しなくなってしまうかもしれないのです。

引用元:ジル・ルイス『白いイルカの浜辺』(評論社)、291ページ

 

日本人は、「魚食の民」と言われています。(長崎福三『魚食の民』(講談社)より)
我々は、世界中のどの国の人たちよりも魚を愛し、魚を食する国民です。私自身も、肉よりも魚が好きです。
そんな大好きな魚が食卓から姿を消してしまったら、お寿司屋さんがなくなってしまったら・・・食べる楽しみがなくなってしまうとは言い過ぎかもしれませんが、やはり物足りなさは感じるでしょう。

 

こうした問題はそのスケールの大きさもあってどうしても他人事に思いがちだし、現にまだこうして普通に魚を食べることができている以上、なかなか身近な問題として考えることが難しいのは仕方のないことなのかもしれません。

 

しかし、魚食を愛するからこそ、目を背けてはいけない問題なのだと強く感じます。
じゃあそのためにどうするのか――当たり前のことしか言えないけれども、まずは自分にできることから少しずつ。やはりこれに尽きると思います。

 

ビニール袋をできる限り使わないとか、必要以上に水を使わないとか、できることはあるはず・・・。
小さなことかもしれないけれど、どんなに小さなことでも、それを積み上げていけばきっと大きな力になる――そう信じて、私自身ももっと普段から環境問題を意識していこうと思いました。

 

やっぱ泣くしかないですよね

ということで、昨日は金曜ロードショーで『タイタニック』の後編を観てました。

 

前回のブログでも書いた通り、タイタニックは実家のビデオで何回も観ました。内容も結末も知っているとはいえ、何度観ても毎回同じところで泣いてしまいます。

 

沈みゆく船上にありながらも、パニックを防ぐために音楽を奏で続ける楽士たち。
船の中を死に場所と定め、ベッドの上で抱き合いながら海水に呑まれてゆく老夫婦。
最期は紳士らしく死にたいと、正装した上からの救命胴衣の着用を拒否した男性。
運命を受け入れ、客室で静かに子供たちを寝かしつける母親。

 

・・・もう思い出すだけでも涙、涙です。

 

今回改めてこの映画を観て思ったのは、船ってこんなに簡単に沈んでしまうんだなと。あんなに巨大な船が、です。
流れ込んでくる水の勢いが本当に早すぎて、画面越しに観ていても恐怖でしかありませんでした。
「絶対に沈まない」ともてはやされていた船が、いとも簡単に沈む。自然を相手にしては、人間というのはこんなにも無力なんですね・・・。

 

人間の本質って、こういう非常時に如実に出てくるんだなということを思い知らされました。

 

我先に助かろうと押し合いへし合いする人びと。カネに物を言わせて助かろうとする者。ボートに乗りきらない乗客を差し置いて真っ先に逃げ出すタイタニック関係者――。

 

そりゃ誰だって死にたくないし、ましてやこんな形で最期を迎えたいなんて思う人はいないでしょう。
自分が乗った船が沈もうとしているんです。冷静でいられるはずがありません。

 

もしも実際に自分がこのような状況に遭遇したら――私だってきっと冷静ではいられないでしょうし、「何が何でも助かりたい」と思うでしょう。
さすがに、人を押しのけてまで自分が自分が、とはなりたくないと思ってはいますが・・・。

 

そんな中でも、「これが自分の使命」と最期まで職務を全うした人たちや、覚悟を決めて船内で最期を迎えようとした人たちの生き様が、とても美しく思えました。

 

これは現実にあった事故をもとにしている映画なので、決して美化してはいけないことはわかっています。
でも、人間という生きものが非常時にどういう行動を取るのか、その状況から抜け出すことができないとわかった時にどんな最期を選択するのか。大いに考えさせてくれる映画でもあると私は思っています。

 

タイタニック号の問題点の一つは、そもそも船の定員全員が乗れるだけの救命ボートが用意されていなかったことです。定員ギリギリまで乗せたとしても、助かる人数は全乗員乗客の半分――。
それをわかっていながらも、定員でギュウ詰めになったボートに乗るのは勘弁だと言った者もいたことが、私には腹立たしくて仕方ありませんでした。

 

後世に大きな教訓を残すことになったタイタニック

 

かなしい事故です。絶対にあってはなりません。まして、乗客の階級によって救助が後回しにされることなど、本来絶対に許されるべきことではありません。
救えたはずの、もっと多くのいのち――タイタニックと運命をともにした人びとのためにも、もう二度と、こんな事故は起きないでほしいです。

 

・・・長くなってしまいました。まとめるととにかく素晴らしい映画であることは間違いないです。
公開から25年経ってもファンが多いというのもうなずけます。

 

後編はパニック映画さながらの迫力あるシーンも多いので、私自身も画面を見ながら息を詰めたり束の間ホッとしたり、TVに釘付けでした。

 

CMを挟まずに通して観たくなってきたので、近々レンタルでもしようと思います。(きっと私と同じことを考えている人は多いはず・・・)

 

字幕か吹替か

先週の金曜ロードショーは『タイタニック』の前編でした。そして今週は後編が放送されます。

 

この映画と私との出会いは実家で、VHSで観てました。(ビデオテープのことです。時代を感じる・・・笑)
母が映画とか割と好きな人間なので、タイタニックのVHSが発売されるやいなやすぐに購入していて、それを私が何度もリピートして観ていました。

 

タイタニック――改めて説明するまでもないほど有名な映画ですが、超簡単にいうとタイタニック号で出会った貧しい画家の青年ジャックと上流階級の娘ローズの悲しい恋を描いた作品です。
ジャックとローズが船の舳先で両手を広げるシーンは、知らない人はいないくらい有名なシーンではないかと。

 

・・・こういう海外の映像作品を観るといつも思い出すのが、字幕派か吹替派かという議論です。

 

私はダンゼン字幕派です!

 

字幕だと文字が邪魔して映画に集中できないという話はよく耳にします。
しかし、海外の作品で登場人物たちが日本語を話しているのがどうにも違和感でしかなく・・・あくまで私の場合は、ですが。

 

英語の勉強がしたいからとか特別な理由があったわけでもないんですけど。
まぁ私は語学自体はもともと好きだし、母も字幕で観ることに抵抗のない人間なので、その影響もあるかもしれません。

 

こう書くとめっちゃ英語デキる人みたいに思われるかもしれませんが、母も私も英語は全然できません(笑)
なんとなく、字幕で観た方がよりその映画の世界観を感じられるのかなぁという気はしています。

 

ハリー・ポッター』シリーズは字幕の方が好みです。吹替版だと、呪文の効果がなんだか薄れてしまうような気がして・・・(笑)

 

とはいえ、何が何でも字幕じゃないとイヤ!というわけではなくて、金曜ロードショーとかで放送される海外モノはそのまま素直に吹替で観てます。
先週のタイタニックに始まって、今後の金曜ロードショーはしばらく気になる作品が目白押しなので、時間の許す限り観たいです。

 

タイタニックに話を戻しましょう。

 

公開当時は日本国中が「レオ様」フィーバーに沸いていたかと記憶しています。私のクラスメートの女の子たちも、みんな「レオ様」一色でした。

 

その当時の私は、「レオナルド・ディカプリオというカッコいい人が出ている映画」という程度の認識しかないガキンチョでした。
しかし大人になった今、改めて見てみると、世の中の女性たちが「レオ様」ってなるのも納得できる気がしました。

 

貧しいながらも心の優しい青年、いざという時に見せる男気、少年のような無邪気な笑顔、いかにも幸の薄そうな整った顔立ち・・・と来たら、こりゃ女性たちが落ちないわけがありません。

 

そんなレオ様も、すっかりイイお歳のダンディなおじさまになりました。
私は映画にそれほど詳しいわけではありませんが、昔から知っている人が今も活躍しているというのはやはり嬉しいモンですね。

 

面白くなってきました

今日は『イチケイのカラス』を観てました。

 

いやぁ面白くなってきましたねぇ。今日で6話が終わったので、そろそろ折り返しかと。

 

被害者と加害者の関係性。命の重み。人が人を裁くこと・・・毎回とても考えさせられるドラマです。
シリアスなだけじゃなくコミカルなシーンもあるので、そのあたりも毎回楽しみながら観てます。

 

しかし観れば観るほど、役者さんたちが本当に素晴らしいなと思います。
竹野内豊さんがカッコよすぎるんですよね。竹野内さんと黒木華さんのコンビも好きだし、竹野内さんと小日向文世さんのコンビも好きです。
もちろん、私の心のオアシス・山崎育三郎さんも素敵な役どころです。

 

このドラマのラスボスが誰なのかもなんとなく見えてきました。今後の展開が本当に楽しみです!

 

・・・実は、『イチケイのカラス』の他に私がハマっているドラマがもう一つ。
それは、日曜9時枠の『ドラゴン桜』です。こちらは16年ぶりのドラマ化ということで、メディアでも話題になっていました。

 

16年前当時は私はまったくこのドラマを観ておらず、阿部寛さんが主演だったということくらいしか認識していませんでした。

 

今回のドラマ化は夫がめちゃくちゃ楽しみにしていたようで、初回からTVの前をしっかり陣取ってます(笑)昨日で3話目が終わりました。

 

イチケイのカラス』以外のドラマにはあまり興味がなかった私も、夫が画面に釘付けなのでついつい一緒に見てしまいます。

 

そしてこれがまたすごく面白い!
阿部寛さん演じる桜木はとにかくやることなすことめちゃくちゃなので、現実でこんな人が教師やってたら間違いなくアウトでしょう(笑)

 

しかし内容がこれまたものすごく深いです。

 

昨日放送された中のワンシーン。

 

ただ難解な単語を使って説明しているだけで、言いたいことの意味がわからない。しかし簡単な単語でかつ簡潔に記述されているほうは、わかりやすく意味が伝わってくる。シンプルなのが一番だ。

 

という意味合いの台詞を桜木が言う場面がありました。
ちょっとうっかりネタバレしそうで怖いのでこれ以上は書きませんが、これってめちゃくちゃ大事なことだなと。

 

物事を説明するときは小さい子でもわかるように説明するべきとはよく言われていることだと思いますが、まさに「シンプル・イズ・ベスト」――これに尽きるんだなと気付かされた回でした。

 

及川光博さんと江口のりこさんも出演されていて、まるで『半沢直樹』の再来か!?と思わせるようなキャスティングも最高です。
江口のりこさんが本当にすごい。これからもっともっと活躍してほしい女優さんです。

 

そんなわけで、このドラマも続きが楽しみになってきました。

 

私がこんなに連ドラを毎回欠かさずきちんと観るなんて本当に珍しいことなので、自分でも驚いています。きちんと最終回まで見届けられたらいいなと思います。

 

読書感想:『ミムス ――宮廷道化師』

リリ・タールの『ミムス ――宮廷道化師』(小峰書店)を読み終わりました。

 

作者について

高校卒業後、看護師として働いたのち、大学で中世史を学ぶ。その後、マルチメディア・情報技術を学び、2000年から執筆活動に入る。
デビュー作の『ピレマイヤー警部』は2002年にベスト児童推理小説賞を受賞し、以来シリーズ化された。本書『ミムス 宮廷道化師』は2004年のドイツ児童文学賞にノミネートされたほか、バード・ハルツブルク青少年文学賞、若い読者が選ぶ青少年文学賞などを受賞。また、オーストラリア、イギリス、北米、ハンガリー、スペイン、フランスなどでも翻訳出版されている。

引用元: リリ・タール『ミムス ――宮廷道化師』(小峰書店

 

概要

王国の跡取りである王子フロリーンと、彼が弟子入りさせられた宮廷道化師を取り巻く物語。敵国の罠によって囚われの身となり宮廷道化師ミムスに弟子入りさせられたフロリーン。怒りと屈辱に耐えながらも、師匠ミムスや城の厨房見習いベンツォとの交流を通し、自国の貴族たちに救い出されるまでを描いた物語です。

 

内容紹介

フロリーンは、モンフィール王国の王子。ラドボド、ゼナ、タンコという三人の友人たちとともに、王室騎士学校に通っていました。

 

フロリーンの父親であるフィリップ王は、数日前から不在でした。

 

ある日、父親に代わって謁見中だったフロリーンは、父の使いの者が到着したと知らされます。
使いの者はティロ伯爵でした。彼はフィリップ王からの文書を携えていました。
文書の内容は、両国の王が和平条約に署名し和解の約束をしたこと、ついてはヴィンランド王国のテオド王が自国の城で祝祭を開きたいためフロリーンにもぜひとも参加するように、との内容でした。

 

両国間で長く続いていた戦争に心を痛めていたフロリーンは、ついに平和の時が訪れるのだと心躍らせ、喜び勇んでティロ伯爵とともにヴィンランドへ向けて出発しました。

 

ヴィンランドのベリンガー城に到着したフロリーンはしかし、そこで違和感を覚えます。祝祭というからには自分は客人であるはずなのに、あまり歓迎されているようには見えませんでした。

 

その心配を見透かしたかのように、テオド王はフロリーンに「じきに愉快になるぞ」と告げます。
待っているうちに、入り口の方が騒がしくなりました。

 

フロリーンは何が起こるかとわくわくしていましたが、次の瞬間、目を疑いました。
ヴィンランドとの和平協定のためにフィリップ王と随行した高官たちが、次々と引き立てられてきたのです。そしてそのフィリップ王も、捕虜として引き立てられてきました。

 

なんと、自分の城で平和を記念した祝祭を開きたいというのは、テオド王が仕組んだ罠だったのです!

 

フィリップ王と高官たちは地下牢に閉じ込められてしまいました。
そしてフロリーンもまた、テオド王の宮廷道化師であるミムスに無理やり弟子入りさせられてしまいます。城の中の薄暗い小部屋でミムスとともに寝起きしなければならなくなったのでした。

 

着ていたものをすべて取り上げられ、道化師の衣装を着ることになったフロリーン。怒りと屈辱にまみれながらも、渋々衣装に袖を通します。

 

はじめフロリーンの足には鎖がはめられていましたが、ミムスが数日後に外してくれました。一度は城からの脱走を試みますが、敢えなく失敗します。
ミムスは足かせはもう必要ないと言っていました。
しかしそれは、地下牢につながれるか、道化としてここで一生暮らすかのどちらかしか選択肢はないことを意味していました。

 

ミムスからの宿題を毎日のように出されるフロリーン。時にはテオド王の前で道化を演じさせられることもありました。
フロリーンにとっては屈辱以外の何物でもありませんでしたが、地下牢にいる父のことを片時も忘れたことはありませんでした。

 

ある日、モンフィールからの使者がテオド王の前に通されます。
その使者は、五十万フロリーンと引き換えにフィリップ王とその息子を引き取りたいと申し立てます。(フロリーンは通貨の単位としても使われていました)

 

その時ミムスが躍り出ました。彼は、フロリーンがモンフィールの王子であることを使者の前でほのめかします。
これがテオド王の怒りを買い、全員追い出されてしまいました。

 

その日の夜、フロリーンのいる小部屋に忍び込んでくる者がありました。
モンフィールからの使者ヴィクトル伯爵でした。ヴィクトル伯爵はミムスが言ったことを確かめるため、フロリーンの小部屋にやってきたのでした。
道化の姿をしたこの少年が紛れもなくフロリーン本人であることを確認すると、ヴィクトル伯爵はフロリーンに伝えます。

 

「殿下、おつらいとは存じますが、まだとうぶんはご辛抱いただかなければなりません。ただ、どんなに時間がかかっても、けっして希望をお捨てにならないよう。注意深く身辺を見、われわれを信じて連絡をお待ちください。では、お元気で!」

引用元: リリ・タール『ミムス ――宮廷道化師』(小峰書店)、263ページ

 

ヴィクトル伯爵の言葉によってフロリーンは希望を取り戻しました。相変わらずミムスとともに道化を演じさせらてはいましたが、国からの助けが来てくれることを信じるようになりました。

 

しかし、辛い日々は続きました。
モンフィールを裏切り、ヴィンランド側に寝返った貴族たちがベリンガー城を訪ねてきたときのこと。そこにはフロリーンの友人、ラドボドの姿もありました。
ラドボド自身は決してモンフィールを、そしてフロリーンを裏切ってはいないのですが、彼の父がヴィンランド側についたのでした。

 

対面するフロリーンとラドボド。自分のことを信じてほしいと訴えかけるラドボドに、フロリーンは冷たい言葉を浴びせかけます。

 

ラドボドと決別し、一時は重い気持ちになるフロリーン。しかし、彼はいつまでも悲嘆に暮れてはいませんでした。
ヴィクトル伯爵の言葉やラドボドから聞かされた自国の状況から、自分は見放されていないということがわかったことで希望を持てたのでした。

 

待ちに待ったその報せは、忘れた頃にやってきました。それは暗号という形でフロリーンの手に渡ります。
暗号を解いた彼は、その頃すっかり親しくなっていた城の厨房見習いのベンツォの協力を得て、地下室の見取り図を作成します。それは、ベンツォまでをも危険にさらす命がけの行為でした。その地図が後に重要な役割を果たすことになるとは、フロリーンは想像もしていませんでした。

 

次の報せについても、まったく思いがけない時にやってきました。前回と同様にして暗号を解いたフロリーン。そこには、待ち合わせの時間と場所が書かれていました。
しかし、宮廷道化師であるフロリーンは、城を出ることを許されていません。今回もまたベンツォの力を借りることになりました。

 

約束の場所にたどり着いたフロリーンは、ヴィクトル伯爵と落ち合います。
彼の口から、自分たちの救出計画が持ち上がっていることを告げられるのでした。そしてそれが翌日に決行されるということも。

 

ヴィクトル伯爵の言う計画とは、ベリンガー城の地下に坑道を掘り進め、城を土台から崩してしまおうというものでした。
フロリーンはこの時初めて、地下の見取り図が何の役に立ったのかを知ります。

 

坑道を奥まで見たいというフロリーンがその場所まで案内されると、そこにはラドボドがいました。彼は坑道の先頭を切り、掘り進めていたのでした。
自分のために命をかけてくれている友――フロリーンはラドボドの手をとり、ぎゅっと握りしめました。

 

城に戻ったフロリーンは、ミムスから明日の夜フィリップ王が処刑されることを聞かされます。明日は謝肉祭の祝日。ベリンガー城で晩餐会が開かれるのです。そんな日に、フィリップ王の処刑・・・。テオド王の考えそうなことでした。
しかし、救出計画は明日の夜に実行される。間に合わないかもしれない・・・。

 

 フロリーンはすっかり混乱しながらも、ひとつだけ、はっきりとわかっていることがあった。助けを求めるとしたら、この世にたった一人の人物をおいてほかにない。
「ミムス、頼むから助けてくれ!」悲痛な声でフロリーンは言った。

引用元: リリ・タール『ミムス ――宮廷道化師』(小峰書店)、483ページ

 

ミムスは、ある誓いと引き換えに、フロリーンを助けることを承知します。

 

ついにやってきた晩餐会の夜――。
ミムスはフロリーンを助けると言ってはくれたものの、実際に何をやるかは頑なに教えてくれませんでした。ミムスはただ、「そのときになりゃわかる」とだけフロリーンに告げます。

 

晩餐会で道化を演じ始めたミムス。
うまく客たちを引きつけていましたが、ついにそれも終わりの時が来ました。フィリップ王が広間に引き立てられてきます。広間には断頭台が準備されていました。モンフィールからの救援は、来ませんでした。

 

今にもフィリップ王が処刑されようという時――ミムスが処刑の歌を歌い始めました。少しでも時間を稼ぐために。
それでも、モンフィールからの救援はまだ来ません。フロリーンはとうとう諦めました。

 

「もうやめろ、ミムス!」耐えきれずにフロリーンは叫んだ。「頼むから、やめてくれよ!」
 ついに自制心を失い、フロリーンはミムスにかけよった。「もう、いいんだ、終わったんだ。これ以上、苦しみをのばさないでくれよ!」

引用元: リリ・タール『ミムス ――宮廷道化師』(小峰書店)、507ページ

 

その時、広間の外がにわかに騒がしくなりました。同時に、ズシンという地響き。城が崩壊する、と叫びながらベリンガー城の隊長が入ってきました。

 

モンフィールの救援部隊がやって来たのです。場内は一気に混乱の戦場と化しました。
相対するフィリップ王とテオド王。そこに追いついたモンフィールの兵士が、ヴィクトル伯爵の命令によって剣を振り上げました。

 

まさに剣が振り下ろされようとするその時、フロリーンが止めに入ります。テオド王に危害を加えることは許さない、と。
誰もが驚きましたが、これこそが、フロリーンがミムスに助けを求めた時に、ミムスと誓ったことだったのです。

 

しかし、周囲はそれでおさまりませんでした。ヴィクトル伯爵はテオド王の息子リカルドを、ベネディクト長官がフロリーンをそれぞれ人質にとります。

 

その時、ミムスが現われました。彼の出現によって混乱するかのように見えましたが、ミムスの巧みな道化によって人質が解放されます。
ミムスは道化を続け、その場を攪乱します。最後に、テオド王がミムスによって屈辱的な道化を演じさせられたのでした。
ヴィクトル伯爵が言います。

 

「ヴィンランドの王に、最後に一言だけ申しあげます」彼は、ミムスのとなりでこわばった表情のまま立ちつくすテオド王にむかっていった。「陛下がまだ生きておられるのは、道化のおかげだということを、なにとぞお忘れなく。モンフィールの王子が、道化に陛下の身の安全を守ると誓っていなければ、陛下の首はとっくに刎ねられていました。道化を処刑する前に、これだけはご自覚くださいますよう!」

引用元: リリ・タール『ミムス ――宮廷道化師』(小峰書店)、529ページ

 

10日後、今度こそ本当に両国間での休戦協定に署名がなされました。フィリップ王はミムスを買い取ろうとしましたが、テオドは断固として拒否しました。

 

しかし、ミムスの待遇を今より良くすることについては同意したとのことで、フロリーンはミムスにそれを伝えに行きました。
フロリーンはミムスに城を逃げ出すよう伝えましたが、ミムスは首を縦には振りませんでした。それどころか、フロリーンを手荒くドアの外へ押しだしてしまいました。

 

数年後、モンフィールに来客がありました。ヴィンランドに住む、フロリーンと同い年くらいの少年――ベリンガー城の厨房見習いだったベンツォでした。

 

ベンツォの協力があったからこそ、フロリーンは無事にモンフィールに戻ることができたのです。彼がモンフィールに招かれたのは、王室から彼に対して正式に感謝の意を表するためでした。
ベンツォには男爵の地位と、モンフィールの副料理長の立場が与えられることになりました。ベンツォも喜んで引き受けます。

 

・・・物語は、フロリーンが手紙を出す場面で幕を閉じます。
その巻紙は、印章のついた蠟でていねいに封印されていました。フロリーンが新しく作ることを許されたその印章には、ある特別な人物への敬意が込められていました。

 

「きっと気に入ってくれるだろ、ミムス」フロリーンはつぶやく。
 モンフィールの王位継承者の新しい印章には、ミダス王の姿が刻まれていた。
 たくさんの鈴がついた服を着た、王冠をかぶった若い男。
 そして、その頭からはにょっきり、ロバの耳が生えていた。

引用元: リリ・タール『ミムス ――宮廷道化師』(小峰書店)、547ページ

 

感想

こういった王国モノ、実は私の大好物です(笑)
それもあってか読み始めたらもう止まらなくて、550ページ近くもある大作ながら一日で読破してしまいました。

 

ミムスはテオド王に仕える宮廷道化師。突如弟子入りすることになったフロリーンをはじめは疎ましく感じます。
彼はあくまでも道化師。敵か味方か――心から信じていいものか、言動からはわかりません。

 

一方のフロリーンは、それまで一国の王子として暮らしていたのが、ある日突然敵国の手の中に落ち、しかも道化師として暮らす羽目になります。
屈辱と怒りから、フロリーンもはじめはミムスを蔑み、ミムスに言われたことなど絶対にしたくないと頑なに拒みます。

 

しかし、フロリーンはミムスの機転によって何度も窮地を救われることになります。
また、夜ごと悪夢にうなされるフロリーンに対し、ミムスが優しく額をなでてやるシーンも何度か登場します。

 

敵か味方かわからないミムスだけど、そんな人間らしさを垣間見ることもあり、私はこのミムスという人物にすごく好感が持てました。
最後にテオド王が道化を演じさせられる場面はとても痛快でした。

 

この物語で残念なところを挙げるとすれば、下記の二点。

 

まず、物語の冒頭で出てくる三人の少年たち(ラドボド、ゼナ、タンコ)については、もう少し詳しく人物像の説明がほしかったなというところです。
ラドボドとゼナとは物語終盤で再会することになるので、予備知識として彼らがどういう人間なのかをもう少し詳しく知りたかったです。
タンコは冒頭で少し登場したのみで、その後名前だけは何度か出てくるものの、再会の場面がなかったのが気になりました。彼もフロリーンの友人なのですが・・・。

 

あと、フロリーンの護衛騎士シュトゥルミウスも冒頭でしか出番がなかったのが残念です。
護衛騎士という肩書きがあるくらいなので、このシュトゥルミウスがめっちゃオイシイところを持って行くのかなとばかり思っていたら、こちらも冒頭で出番終了。
想像するに絶対イケメンに間違いないのですが、なんとも残念・・・。

 

まぁこれらのことを差し引いたとしても、物語としては十分面白かったので、私としては大満足です。

 

読書感想:『桜の木の見える場所』

パオラ・ペレッティの『桜の木の見える場所』(小学館)を読み終わりました。

 

作者について

1986年イタリア生まれ。大学では哲学と文学を専攻。15歳のときに、徐々に視力を失われていく難病「スターガルト病(若年性黄斑変性)」と診断される。現在は、病気の進行は止まっているものの、いつ視力を失うかわからないという不安は常につきまとう。目が見えるうちに物語を書きたいという夢を実現するために、ライティングスクールに通い始める。本書『桜の木の見える場所』で作家デビューを果たし、版権が25か国に売れる。

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館

 

概要

目のなかの光が少しずつ失われていくと知ったら、あなたはどうしますか?――著者の実体験に基づく物語です。

 

内容紹介

 子どもはだれだって暗やみがこわい。
 暗やみは、ドアも窓もない部屋みたいなもの。子どもをつかまえて食べてしまう怪物がひそんでいる。
 でも、私がこわいのは、目のなかにある暗やみだ。

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、8ページ

 

マファルダは、「スターガルト病」という目の病気を抱える少女です。
スターガルト病とは、目のなかに霧がかかり物や人が少しずつ黒い影におおわれ、その影が大きくなればなるほど物に近づかないと見えなくなる病気――視力が少しずつ落ちていく病気です。それは、一万人に一人がかかるといわれているものでした。

 

マファルダは、「マファルダのリスト」と表紙に貼り付けた秘密の日記帳をもっていました。そこには、日付とともにマファルダの秘密や「とても大切だけどいつかできなくなること」のリストが載っています。
リストを作ってみるように言ったのは、学校の用務員さんのエステッラでした。エステッラ自身も、何年か前にリストを作ったことがあると言うのです。

 

ある日マファルダは、ママとパパと一緒に眼科へ行きました。そこでオルガ先生から、現実を突きつけられます。

 

「これまでも病状がかなりのスピードで進行していることを考えると、あまりよい予測はできません。長くても・・・・・・」
「どれくらいなのでしょうか」
 先生よりもさらに低い声で、パパが言った。パパのそんな声を、初めて聞く。
「長くても、あと半年です」
 ママとパパは、まるで空気がもれた風船のように、いすにぐったりともたれかかった。わたしは反対に、身をのりだしてオルガ先生に質問した。
「あと半年で、どうなるの?」
 先生は、うすいレンズの入っためがね越しにわたしを見つめた。
「あなたの目が見えなくなるの、マファルダ」
「そうしたら、わたしは本当の暗やみで過ごさないといけないの?」
 先生はしばらくだまっていたけれど、言葉少なに言った。
「残念ながらそうなるわね」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、35ページ

 

病院から帰ると、友だちのキアラが遊びに来ました。マファルダは点字を読む練習を始めていましたが、幼稚園の頃からの友だちのキアラには、自分が点字を読んでいることを知られたくありませんでした。

 

家の中で一緒に遊ぶことにした二人。しかし、ある些細な出来事がきっかけで、二人はこの日以降再び仲良く遊ぶことはありませんでした。
マファルダは秘密の日記帳を開き、そこに書いてあった「心の友を持つこと」という文章を二本の黒い線で消しました。

 

11月2日。その日は「死者の日」だったため学校は休みになり、マファルダはママとパパと一緒に親戚のお墓参りに出かけました。
お墓の前の広場でサッカーをしている男子たちがいたので、マファルダは一緒に参加しました。しかし、結果的に彼女はオウンゴールをしてしまいます。

 

その出来事をエステッラに話すと、エステッラは言いました。

 

「マファルダ、あのね、なにが見えて、なにが見えないかは、そんなに重要なことじゃないの」
「そんなことない。サッカーをしようと思ったら、ボールが見えるかどうかは重要でしょ」
「マファルダにとって、サッカーはそんなに大切?」
「うん。だってサッカー大好きだもん」
「できなかったら死んじゃうくらい?」
 わたしは、しばらく考えてから答えた。
「うーん。そこまでじゃないかも」
「つまり、不可欠じゃないってことよね」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、54~55ページ

 

目を使わなくてもできることの中で、自分にとって不可欠なものを見つけなさいとエステッラはマファルダに言います。
そんなのほとんどないと考えながら、その夜マファルダの日記帳から「男子といっしょにサッカーをすること」という文章が黒い線で消されました。

 

ある日、ひょんなことからフィリッポと会話をすることになったマファルダ。フィリッポは先日サッカーをしたときにいた男の子でしたが、暴力を振るうという噂があり、マファルダはフィリッポとはあまり関わりたくないと思っていました。

 

しかし、自転車でどこへでも自由気ままに走り回るフィリッポの姿に、マファルダは自分がおりの中の囚人のように感じました。マファルダは日記帳を開き、「ひとりぼっちでいないこと」と書かれた文章を黒い線で消しました。

 

音楽教室では、半年に一度発表会が開かれることになっています。マファルダは音楽が大好きでした。
その発表会の出演者の中に、なんとフィリッポがいました。華麗にグランドピアノを弾いています。フィリッポの奏でる音楽は、とても美しいものでした。その旋律に耳を澄ましているうち、マファルダは自分でも知らないうちに涙を流していました。

 

演奏会の後は立食パーティーがありましたが、フィリッポとマファルダは誰もいなくなったホールで話をしました。フィリッポはピアノの練習は好きじゃないと言いますが、マファルダにせがまれていざピアノを弾き始めると、とても楽しそうにピアノを弾くのでした。

 

パーティに戻った二人。マファルダのパパとママはフィリッポのお母さんと話をしていました。これをきっかけにして、家族ぐるみでの交流が始まることになりました。

 

学校の行事でスキー学習が行われることになり、宿泊所でマファルダはフィリッポの元カノだというエミリアという少女とその取り巻きに絡まれます。
フィリッポのことが好きなのかと聞かれても、マファルダには「好き」という感情がどういうものかよくわかりません。フィリッポと付き合うつもりなら覚悟した方が良いとも言われましたが、その「付き合う」ということもマファルダにはよくわかりませんでした。

 

スキー学校が終わってから、マファルダがエステッラにたずねると、エステッラはたいへん喜びました。

 

「(中略)恋っていうのはね、いつだってすてきなことよ。マファルダ、よく覚えておいて。だれでも恋はするの。男の子も・・・・・・」
 (中略)
「食いしんぼうの子も?」とわたしはたずねた。
「もちろんよ。食いしんぼうの子だって恋をするわ。おじいちゃんやおばあちゃんだって、遠くに住んでいる人どうしだって、悪い人だって・・・・・・」
「悪い人も?だったらドラキュラも?」
「そうね。ドラキュラにも奥さんがいた。ふしぎに思うかもしれないけれど、本当の話よ。だからこそ、恋はすてきなの。だれもが平等ってことでしょ。恋をすると、貧しい人たちは豊かになるし、豊かな人たちはもっとうれしくなる」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、176~177ページ

 

そしてエステッラは、自分自身もかつては愛した男性がいたことを話しました。いつの間にかお互いに『愛してる』と言えなくなったことも。
マファルダは、日記帳の「だれかを愛すること」という文章を黒い線で消しました。

 

 エステッラの説明をきちんと理解できたとしたら、子どもが生まれてくるためには、その子の父親になる人に「愛してる」と伝える必要がある。だけど、わたしには子どもを持つことができない。だって、暗やみでは赤ちゃんにミルクを飲ませられないし、おむつだって替えてあげられないもの。だから、ぜったいにだれにも「愛してる」って言わないようにしよう。

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、179ページ

 

マファルダの10歳の誕生日。お祝いをしてもらっていると、電話が鳴りました。受話器の向こうから聞こえてきた声は、エステッラでした。エステッラは病院に来ていると言います。マファルダがわけをたずねると、病院で働いている友だちに会いにきたのだとのことでした。そして、しばらく学校を休むことになる、とも。

 

その友だちを自分にも紹介してほしいというマファルダに、エステッラは「ぜったいに会わせたくない」と言います。素直に聞き入れるマファルダに、エステッラは伝えました。

 

「お誕生日、心からおめでとう、マファルダ。あたしの小さなお姫様」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、188ページ

 

エステッラのその声は、普段とは違ったとても奇妙な声でした。

 

その後しばらくして、マファルダとエステッラは学校で再会を果たします。エステッラに抱きかかえられるマファルダですが、ママやおばあちゃんに抱きしめられるのとはどこか違うものを感じました。心臓の音が、妙に近く感じる。スポンジケーキのような、そこにあるはずのふかふかしたものが、片方しかない――。

 

エステッラは言います。スポンジケーキのもう半分は、病院の友だちに持っていかれちゃったのよ、と。

 

やがて、マファルダの家は引っ越しに向けて荷物を少しずつ運びだすようになりました。実は、学校の近くに引っ越すことになったと前々から告げられてはいたのですが、マファルダは嫌で嫌で仕方なかったのです。

 

その日、学校ではエステッラの姿が見えませんでした。マファルダを見かけると、別の用務員さんがエステッラから預かっているものがあると言って手紙を渡してくれました。
しかし、マファルダは手紙を誰かに読んでもらわないといけません。必死でフィリッポを探しましたが、フィリッポにも会うことができませんでした。

 

帰宅すると、引っ越しの真っ最中でした。必死でママに頼み込み、ようやくママが手紙を開いて、声に出して読み始めました。
しかし、読み始めてすぐ、ママはそれ以上読めなくなってしまいました。声があまりにも悲しみに沈んでいます。マファルダにはわけがわかりませんでした。

 

手紙をママの手から奪い取り、家を飛び出すマファルダ。
みんなに見えているものが、どうして自分には見えないのか・・・・・・。焦る気持ちや苛立ちが、マファルダの心を締め付けます。気付けば、滂沱の涙を流していました。

 

学校の桜の木に登り、眠りに落ちるマファルダ。夢と現の間で、マファルダはエステッラと対話します。
やがて朝になり、マファルダは桜の木を滑り降りていきました。

 

ママもパパも、必死の思いでマファルダを探していました。ようやくパパがマファルダを見つけたとき、パパが言いました。もう二度と家出なんかしないと約束してくれ、と。

 

学校でフィリッポも待ってくれていました。マファルダは、新しく作り直したリストをフィリッポに見せます。それは、『とても大切なこと』のリストでした。

 

フィリッポはマファルダの字を判別するのに苦労しているようでしたが、休み時間に清書してやると言ってくれました。
その瞬間、マファルダは見つけたのでした。自分にとって不可欠なことを――本当の友だちを見つけること。そしてそれは、目の前にいるフィリッポなんだということ。

 

マファルダは、本を書くのも手伝ってほしいとフィリッポに伝えます。書き出しは決まっているのかと問いかけるフィリッポに、マファルダは笑顔で答えます。

 

「うん。こんなふうに始まるの。『子どもはだれだって暗やみがこわい・・・・・・』」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、291ページ

 

最後に、エステッラからマファルダに宛てた手紙が紹介され、この物語は幕を閉じます。
その手紙には、うそがきらいなエステッラのありのままの生き方と、マファルダに向けたメッセージが綴られていました。

 

 マファルダ。また桜の木の上で会いましょう。どうか人生を思いっきり楽しんでちょうだい。
 いいこと?心の底から楽しむのよ。まるで毎日があなたの十回目の誕生日であるかのように。

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、294ページ

 

感想

読み終わってまず考えたのは、もしも目が見えなくなったら自分は一体どうなってしまうんだろうか、どうやって生きていけばいいんだろうかということです。

 

「やがて目が見えなくなる」という現実をわずか10歳にして突きつけられた少女マファルダは、あるリストを作っていました。
「とても大切だけどいつかできなくなること」。そこに書かれたものを、マファルダは一つ一つ黒い線で消していきます。
マファルダにとってそれがどれほど辛く、悲しみに満ちたものだったのか。マファルダの気持ちを考えると、あまりにも切なくて、胸が苦しくなりました。

 

マファルダは、何かをするには目が見えるということが何よりも重要だと考えていました。
しかし、そんなマファルダの考えはエステッラとの出会いによって少しずつ変わっていきます。エステッラ自身もまた、病気と闘う女性でした。

 

エステッラにとっては、見える見えないはそれほど重要ではありませんでした。
エステッラとの交流を通して、物語のクライマックス場面でマファルダはリストに付けたタイトルを変えています。「とても大切なこと」と。

 

・・・私たちはとかく自分の目で見ていることだけを頼りにしがちです。
今まで当たり前のように見えていたものが見えなくなるのは、誰だって怖いと思います。私も、怖いです。視力だけは失いたくないと、切実に思います。
もし自分が一生暗やみの中で暮らさなければならなくなるとしたら・・・大好きな本が読めなくなるのならいっそ死んだ方がマシだと、私なら考えてしまうかもしれません。

 

しかし、目が見えるということは、見たくもないものを見てしまうということでもありますよね。今のこのコロナ禍などは、まさに「見たくもないもの」の一つではないかと思います。
そう考えると、見えないほうが幸せなこともあるのかもしれません。(とても不謹慎なことを言っているとは自覚しております)

 

それに、目には見えなくても素晴らしいことはたくさん経験できるはずです。演奏会で美しい旋律にマファルダが涙を流したように。

 

「心の目」という言葉をよく耳にするようになりました。
いま自分が見ているものだけを信じるのではなく、大切なことを「心」で感じ、相手に寄りそうことができるような人間でありたいと私も思います。

 

最後に、内容紹介ではあえて触れませんでしたが、「桜」、「オッティモ・チュルカレ」、「コジモ」の三つの単語が、この物語では非常に重要な役割を果たしています。「桜」は本のタイトルにもありますしね。

 

気になった方は、ぜひ一読を。