行雲流水 〜お気に召すまま〜

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読書感想:『コービーの海』

ベン・マイケルセンの『コービーの海』(すずき出版)を読み終わりました。

 

作者について

アメリカ合衆国の児童文学作家。南米、ボリビアで生まれ育つ。アメリカ西北部モンタナ州ボーズマン在住。徹底した取材にもとづく作品には定評があり、9作品で30近い受賞をするなど、各方面から高い評価を得ている。

引用元:ベン・マイケルセン『コービーの海』(すずき出版)

 

概要

海で出会ったのは、傷ついたクジラとその赤ちゃんだった――。事故で右脚の一部を失った少女コービーと、座礁したクジラ親子との心の交流、成長を描いた物語です。

 

内容紹介

コービーは、事故で右脚の一部を失った少女。4年前、8歳だった頃に自転車の事故に遭い、その日から彼女の人生は変わってしまいました。
彼女にとって、そんな事故の日のことなどのすべてを忘れさせてくれるものがありました。

 

それは、海。

 

コービーは、パパとママと一緒に船の上で生活しています。
ある日、コービーが自分用の小さなボート”ティットさん”で海を走っていると、一頭のクジラが網に引っかかってもがいていました。網がどんどん身体に食い込み、けがをしているようです。

 

コービーは夢中でクジラを助けます。網を取っ払うと、もう一頭そのクジラの下に見えるものがありました。それは、赤ちゃんクジラでした。

 

しかし、赤ちゃんクジラはどんどん海の底に向かって沈んでいきます。
なんとかしなくちゃ!夢中で海に飛び込み、コービーは助けようとします。

 

なんとか赤ちゃんクジラを海面に上げて呼吸をさせると、クジラ親子は無事に泳ぎ去っていきました。
コービーは、お母さんクジラを”レディ”と呼び、赤ちゃんクジラには”スクワート”と名前を付けました。

 

コービーが家族3人で生活している船「ドリームチェイサー号」に戻ると、ママが心配そうに声をかけてきました。コービーが右脚を失って以来、ママはひどく心配するようになり、コービーのやることなすことすべてに反対するようになっていました。挙げ句の果てに、コービーが命を落とさないうちに外出禁止にすると言い張ります。
パパは、自分の力でなんでもやってみなきゃだめだと言ってくれるのに。

 

2人の言い争いを聞くのは、コービーにとって耐えがたいことでした。それが自分の医療費のこととかの話だから、余計に嫌で嫌でたまりません。
その夜、パパとママがまた甲板で言い争っていました。ママは、明日になったらコービーを連れて船を出て行く、とパパに告げます。甲板に隠れていたコービーは、2人の話を聞いてしまったのでした。

 

ある日、学校が終わるとコービーはニッケルジャックの元に向かいました。
ニッケルジャックは年老いた男で、少々人間嫌いのところがありました。周囲の大人たちからは浮浪者扱いされているけれど、コービーにとっては彼は大好きな友だちでした。

 

クジラを助けたことをニッケルジャックに話すコービー。
しかしニッケルジャックは、自分から動物に触れてはいけなかった、相手がけがをしているのならなおさらだ、と注意します。

 

それでもクジラの様子が気になるコービーに、ニッケルジャックは「クジラを助けたいならどうしたって、クジラのように感じて、考えなくちゃならねえ」と告げます。
まだよくわからないコービーに、さらにニッケルジャックは言います。「心の声をよくきけ」と。

 

ある日、クジラを探しに出たコービーは、広い浅瀬に横たわっているクジラ親子を見つけます。あの二頭のクジラ親子――レディとスクワートでした。そばに別のもう一頭がいましたが、すでに死んでいるようです。

 

苦しそうにあえぐレディ。スクワートの目もどんよりしています。
二頭がいつからそこにいたのかはわかりません。しかし、このままでは死んでしまう・・・!

 

今にも倒れようとするレディを、コービーが必死で支えます。
このまま手を離してしまったら、レディの潮吹き穴が水に浸かってしまう。そうなると呼吸ができなくなる・・・。

 

どれほどの時間が経ったのか。辺りはもうすっかり暗くなっていました。
たった一人でレディに寄り添い、支え続けたコービーはしかし、疲れきっていました。こんな夜に浅瀬を横切ろうなんて船はまずいません。

 

しかし、その時ボートの音が聞こえてきました。それは捜索船で、アメリカ合衆国沿岸警備隊の人たちでした。彼らはコービーを探していたのでした。

 

ついに助けが来たにもかかわらず、コービーはその場を動こうとしません。自分が手を離したら、クジラが死んでしまうからです。
「死なせやしないよ」と言ったのはビルという隊員で、彼はブレントという隊員に「かわりにクジラを支えてやれ」と告げます。
やっと安心したのか、コービーはボートに乗り込み、その場にくずれおちました。

 

パパとママと合流したコービーは、レディとスクワートが無事に保護されるまでは帰れないと言い張ります。
そこで3人は少し様子を見に行くことにしました。

 

そこには、海洋保護班のメンバーがいました。
背の高い女性は海洋動物専門の獣医のマイクルズ先生、灰色のウエットスーツを着た海洋生物学者のマックス、他に地元の救護団体で座礁した動物を助ける活動をしているボランティア団体のポッド隊がいました。

 

マックスが、大きい方のクジラは助かる見込みがない、これ以上苦しませるわけにはいかないというようなことを言っているのが聞こえてきました。
「殺さないで!」と思わず駆け寄るコービー。レディとスクワートのことを説明すると、マイクルズ先生が言いました。

 

「このクジラが子どもの母親なら、命をすくう努力をするべきだわ。そうしないと子どもが生きのびられない」

 

こうしてクジラ親子はロンサム島で保護されることになりました。

 

ある日、コービーが学校で授業を受けていると、先生に呼び出されました。そこにはヒギンズ巡査という警官が立っていました。保護されたクジラの件でコービーに依頼があって来たのでした。

 

聞けば、母クジラがプールの壁に体当たりしていて誰も近寄れず、えさも薬もやれないし、血液サンプルもとれない状態だという。そこで、コービーならなんとかできるのでは?とマイクルズ先生が考えたとのことでした。

 

実は、浅瀬での保護活動の際、母クジラのレディは怒りの目を人間たちに向けていたのです。その時コービーがレディに話しかけると、途端にレディはおとなしくなりました。マイクルズ先生がその出来事を思い出し、コービーに白羽の矢が立ったのでした。

 

コービーはプールの上から必死で呼びかけますが、効果はありませんでした。レディがコービーのいる側の壁に向かって突進し、体当たりしてきたのです。

 

やはり無理なのか・・・このクジラは、このまま自殺するのではないか。

 

レディの対応についてどうするか口々に言い争いが始まる中、コービーは静かにプールに入りました。
一瞬の静寂の後、ママが必死で「もどってきなさい!」と叫びます。

 

コービーはかまわずプールの中を泳ぎ、クジラに近づきます。二頭はコービーのことを思い出したかのように、穏やかになりました。
そのままマイクルズ先生の指示に従い、レディを誘導します。治療のために男の人たちの手が触れても、レディはそれまでの態度からは考えられないくらいじっとしていました。

 

その日から、コービーも泊まり込みでクジラ親子の様子を見守ることになりました。
マイクルズ先生と一緒にテントで寝泊まりすることになり、ポッド隊のメンバーとして迎え入れられ、コービーは初めて「あたしだけのたいせつな場所」を見つけたような気がしました。

 

ある日コービーがレディの食事を手助けしていると、急にあたりが騒がしくなりました。見ると・・・なんと、クラスメートたちが全員こちらを見つめています。
校外学習としてプールの見学をしたいと学校から連絡があったのでした。

 

コービーはそのとき義足を付けていませんでした。ほとんどの子が、自分のむき出しになった右脚をじろじろ見ているのが感じられて、コービーはひどくうろたえました。

 

その時、マイクルズ先生がコービーの右脚を指さしながら言いました。

 

「わたしたちはすぐ、なくした脚に視線をむける。そして、たいていの人はそれしか見ようとしない・・・・・・脚は見えないけど。このゴンドウクジラたちは、もっと多くを見ています。はるかに多くを!クジラは超音波を使って、みなさんのことをすっかり見ぬけるのです。(中略)このクジラたちが信頼しているのは、コービーだけです。いろんな超音波を使って、コービーの心のなかにあるとくべつなものを見ぬきました。わたしもみなさんも、それをさぐりあてるには何年もかかるかもしれません。クジラたちは、信頼できる友だちを見つけたのです。このすばらしい生きものに、わたしたちはたいせつなことを教わりました。何があっても相手の心に目をむける、ということです」

 

コービーは、みんながまだじろじろ自分を見ているけど、気にならなくなりました。みんなが見ているのは、短い右脚じゃなくて「あたしという人間だ」ということがわかったからです。

 

その日からコービーは変わりました。今までは長ジャージばかりはいて義足をみんなの前で見せることなどなかったのに、学校の体育の授業で思いきって短パンを履いてみたり、ショートパンツで登校するようになりました。ベッキーという新しい友だちもできました。

 

コービーは、自分が義足であるという事実を、少しずつ受け入れるようになっていったのです。

 

・・・やがて、ハリケーンの進路がコービーたちの住むフロリダキーズ諸島に上陸するという情報がありました。
パパ、ママ、コービーは、ニッケルジャックとともに船を出し、なんとかハリケーンを乗り切ることができました。

 

ハリケーンの被害は、レディとスクワートのいるロンサム島でもかなりのものでした。しかし二頭とも無事にハリケーンを乗り越え、元気にプールで泳いでいました。
ハリケーンの影響で学校がしばらく休校になったため、コービーは毎日二頭と一緒にプールで遊ぶようになりました。

 

ある日の夕方、マイクルズ先生が告げます。

 

「あのね、コービー。友だちのことなんだけど、家に帰る準備ができたの。明日、海にはなすわ」

 

コービーも、二頭にはまた海を自由に泳いでほしいと思っていました。そのためにみんなで懸命に治療にあたってきたのですから。
だけど、突然その日がやってくるとなると、やはり泣きたい気持ちになるのでした。

 

翌日、レディとスクワートはボートに乗せられ、旅立ちを見守る人々とともに海にやってきました。
遠くからでも、イルカの群れがいるのが見えます。ゴンドウクジラはイルカの仲間。レディとスクワートも、あの群れの中に入れるだろうか・・・。

 

ついにボートからクジラ親子が降ろされます。レディはぐんぐんスピードをあげていきますが、スクワートはそわそわしています。
海に入っていた人たちは全員船に上がりましたが、コービーは人々の制止も聞かず二頭に向かって泳いでいきました。

 

手を伸ばし、スクワートに触れる。一緒にぐるぐるまわる。
・・・息継ぎのために水面に顔を上げると、ニッケルジャックの声が聞こえてきました。

 

「コービー、そいつらを自由にしてやる時間だ!」

 

コービーは、この子たちが大好きだからと振り向いて言います。

 

「それはわかっとる」ニッケルジャックが大声で叫びます。「だからこそ、いま自由にしてやらないといかん」

 

スクワートはなおもコービーと遊ぼうとしてコービーの身体をつつきます。
しかし、ニッケルジャックが正しいとわかったコービーは、振り向かないようにして船に上がりました。

 

あふれる涙。

 

やがて、スクワートは尾びれで水面を叩いて、レディのもとへと向かいました。

 

振り向くコービー。スクワートがレディと合流すると、親子はのんびりと泳ぎはじめます。
やがて、遠ざかるふたつの背びれは、ずっと向こうに見えるイルカの群れにとけ込んでいきました。

 

誰の目にも、涙が浮かんでいました。それは、様々な感情の入り交じった涙でした。

 

パパとママがそっと近づいてきて、コービーを抱きしめました。
イルカの群れのかすからきらめきが消えていくのを三人で見つめる場面で、物語は幕を閉じます。

 

感想

クジラやイルカが人間と心を通わせるという話はよく耳にしますが、この物語もまた、一人の少女が座礁したクジラ親子と心を通わせ、それぞれが抱える「傷」を癒していく物語です。

 

コービーのように、不慮の事故によって身体の一部を失ってしまうことは、この世の終わりだと感じるほど辛く、苦しいことだと思います。

 

また、たとえ目に見えるものでなかったとしても、外からはわからない傷を心の中に抱えていたりすることは、人間なら誰しもあるものだと思います。
それがコンプレックスとなり、自分の殻に閉じこもってしまう場合も多いでしょう。

 

コービーもまた、右脚を失うという辛い体験をし、両親が言い争いばかりしているという「傷」を抱えていました。

 

二頭のクジラとの出会いや治療にあたる人々との出会いを通し、コービーは少しずつ自分の殻を破っていき、人前で義足を見せることを気にしなくなっていきました。
そして、そんな自分をだんだん好きになっていきます。

 

・・・コービーに限らず、自分の過去を受け入れること、ありのままの自分を受け入れることは、人間にとってとても勇気のいることだと思います。

 

私自身も、目を背けてしまっている過去はありますし、受け入れたくない現実もいくつもあります。そしてそれは今でも現在進行中だったりするのですが・・・。

 

人が抱える「傷」は、簡単には癒えないものが多いと思います。

 

だからこそ自分自身としっかり向き合うこと、そして目の前にいる人の「心」に耳を向けること――当たり前のようで難しいこれらのことを、この物語から教えてもらいました。