行雲流水 〜お気に召すまま〜

好きなことを好きなように好きなときに書くブログです。

桜の木の下で

桜が好きです。

 

春の風物詩といえば、桜ですよね。
風に乗ってひらひらと舞う桜は本当に幻想的で、嫌なことも忘れさせてくれるような気がします。

 

桜。

 

桜って、綺麗ですよね。
大地にがっしりと根を張って立派な幹を持っているのに、そこからは考えられないほど繊細で可憐な薄ピンクの花を咲かせてくれます。

 

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桜に関する不思議な話。

 

これは私自身の体験談です。

学生の頃、いろんなことが重なって毎日どうしようもなく辛い時期がありました。

 

自分は何のために生きているのか?なぜここにいるのか?自分は一体何をしているのか?友人たちは目指す目標に向かって生き生きと学生生活を送っているのに・・・・・・。

 

そんな周囲が羨ましくてまぶしくて、比べる必要なんかないってわかっているのにすぐに他人と比べてしまう自分が嫌いで、比べては「自分なんかダメだ」と思い詰め、焦りと苛立ちから言葉のナイフで友人を傷つけ、友情を壊してしまったこともありました。

 

そしてまた自己嫌悪の繰り返し――。

 

ある日キャンパス内を歩いていたら、ひとひらの桜の花びらが足元に落ちてくるのが目に入りました。
顔を上げると、そこには一本の見事な桜の木が立っていました。

 

あれは雨の降っていた日。そう、風も強めに吹いていた。それなのに、そんなことにはまるで動じない桜の木。

 

大丈夫、と言われている気がしました。
大丈夫、焦らなくても良いんだよ、と。私は桜、友人は友人、あなたはあなた。あなたはあなたらしく大地を踏みしめて生きなさい、と。

 

桜の花びらは、その間にも風に吹かれてひらひらと散り続けていました。どんどん散っていくのに、それでも動じない桜の木。

 

そのとき、私は気付きました。

 

桜の木は、花が散った後もなお大地に根を張り続けている。冬を乗り越えて、また次の春に花を咲かせるため――自分の使命を果たすために。
だから、こんなにも強い。だから、何事にも動じない。自分の確かな目的のために生きているから。

 

雨に濡れながらも、風に吹き散らされながらも、使命を終えるその瞬間まで精一杯生きる桜の花吹雪の中で、自然と眼からこぼれ落ちてくるものがありました。

 

なんて、美しいんだろう・・・・・・。

 

目の前の立派な桜の木を見上げながら、あふれ出てくる涙を抑えることはできませんでした。

 

 

 

美しいものを見るとなんだか泣きたくなったりするようなことって、人間誰しもあると思うんです。
感動したとかももちろんあるけど、言葉にできない想いとか、ちっぽけな自分の存在とか、いろんな感情が混ざり合って何かをきっかけにしてぶわぁっとあふれ出てくる瞬間。

 

私の場合は、桜の木がきっかけでした。

 

「自分」がわからなくてずっとモヤモヤしていたときにこの桜の木に出会い、自分という人間の小ささと、人と比べることの愚かさを思い知ったのでした。
そして、自然というものがどれほど偉大な生命力を持つかということも。

 

この出来事があってから、私はそれまでより桜がもっとずっと好きになったし、ありのままの自分で自分の生き方を見つけていけばいいんだと少しずつ思えるようになりました。

 

いまだに人と比べてしまうことはあります。
あの人みたいに頭が良かったら、この人みたいに話すことができたら、あの人みたいに、この人みたいに・・・そう思うこと、たくさんあります。

 

でも、私は今ここでこうして、自分のブログを書いている。
私にしかつくれない、私だけの言葉で綴る世界。

 

ヘタクソな文章でも、私は書きたいことを書く――これを自信につなげていきたいです。

 

そして、こんな世の中だからこそ花を愛する気持ち、美しいものは美しいと感じられる心を忘れずにいたいです。