行雲流水 〜お気に召すまま〜

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読書感想:『桜の木の見える場所』

パオラ・ペレッティの『桜の木の見える場所』(小学館)を読み終わりました。

 

作者について

1986年イタリア生まれ。大学では哲学と文学を専攻。15歳のときに、徐々に視力を失われていく難病「スターガルト病(若年性黄斑変性)」と診断される。現在は、病気の進行は止まっているものの、いつ視力を失うかわからないという不安は常につきまとう。目が見えるうちに物語を書きたいという夢を実現するために、ライティングスクールに通い始める。本書『桜の木の見える場所』で作家デビューを果たし、版権が25か国に売れる。

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館

 

概要

目のなかの光が少しずつ失われていくと知ったら、あなたはどうしますか?――著者の実体験に基づく物語です。

 

内容紹介

 子どもはだれだって暗やみがこわい。
 暗やみは、ドアも窓もない部屋みたいなもの。子どもをつかまえて食べてしまう怪物がひそんでいる。
 でも、私がこわいのは、目のなかにある暗やみだ。

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、8ページ

 

マファルダは、「スターガルト病」という目の病気を抱える少女です。
スターガルト病とは、目のなかに霧がかかり物や人が少しずつ黒い影におおわれ、その影が大きくなればなるほど物に近づかないと見えなくなる病気――視力が少しずつ落ちていく病気です。それは、一万人に一人がかかるといわれているものでした。

 

マファルダは、「マファルダのリスト」と表紙に貼り付けた秘密の日記帳をもっていました。そこには、日付とともにマファルダの秘密や「とても大切だけどいつかできなくなること」のリストが載っています。
リストを作ってみるように言ったのは、学校の用務員さんのエステッラでした。エステッラ自身も、何年か前にリストを作ったことがあると言うのです。

 

ある日マファルダは、ママとパパと一緒に眼科へ行きました。そこでオルガ先生から、現実を突きつけられます。

 

「これまでも病状がかなりのスピードで進行していることを考えると、あまりよい予測はできません。長くても・・・・・・」
「どれくらいなのでしょうか」
 先生よりもさらに低い声で、パパが言った。パパのそんな声を、初めて聞く。
「長くても、あと半年です」
 ママとパパは、まるで空気がもれた風船のように、いすにぐったりともたれかかった。わたしは反対に、身をのりだしてオルガ先生に質問した。
「あと半年で、どうなるの?」
 先生は、うすいレンズの入っためがね越しにわたしを見つめた。
「あなたの目が見えなくなるの、マファルダ」
「そうしたら、わたしは本当の暗やみで過ごさないといけないの?」
 先生はしばらくだまっていたけれど、言葉少なに言った。
「残念ながらそうなるわね」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、35ページ

 

病院から帰ると、友だちのキアラが遊びに来ました。マファルダは点字を読む練習を始めていましたが、幼稚園の頃からの友だちのキアラには、自分が点字を読んでいることを知られたくありませんでした。

 

家の中で一緒に遊ぶことにした二人。しかし、ある些細な出来事がきっかけで、二人はこの日以降再び仲良く遊ぶことはありませんでした。
マファルダは秘密の日記帳を開き、そこに書いてあった「心の友を持つこと」という文章を二本の黒い線で消しました。

 

11月2日。その日は「死者の日」だったため学校は休みになり、マファルダはママとパパと一緒に親戚のお墓参りに出かけました。
お墓の前の広場でサッカーをしている男子たちがいたので、マファルダは一緒に参加しました。しかし、結果的に彼女はオウンゴールをしてしまいます。

 

その出来事をエステッラに話すと、エステッラは言いました。

 

「マファルダ、あのね、なにが見えて、なにが見えないかは、そんなに重要なことじゃないの」
「そんなことない。サッカーをしようと思ったら、ボールが見えるかどうかは重要でしょ」
「マファルダにとって、サッカーはそんなに大切?」
「うん。だってサッカー大好きだもん」
「できなかったら死んじゃうくらい?」
 わたしは、しばらく考えてから答えた。
「うーん。そこまでじゃないかも」
「つまり、不可欠じゃないってことよね」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、54~55ページ

 

目を使わなくてもできることの中で、自分にとって不可欠なものを見つけなさいとエステッラはマファルダに言います。
そんなのほとんどないと考えながら、その夜マファルダの日記帳から「男子といっしょにサッカーをすること」という文章が黒い線で消されました。

 

ある日、ひょんなことからフィリッポと会話をすることになったマファルダ。フィリッポは先日サッカーをしたときにいた男の子でしたが、暴力を振るうという噂があり、マファルダはフィリッポとはあまり関わりたくないと思っていました。

 

しかし、自転車でどこへでも自由気ままに走り回るフィリッポの姿に、マファルダは自分がおりの中の囚人のように感じました。マファルダは日記帳を開き、「ひとりぼっちでいないこと」と書かれた文章を黒い線で消しました。

 

音楽教室では、半年に一度発表会が開かれることになっています。マファルダは音楽が大好きでした。
その発表会の出演者の中に、なんとフィリッポがいました。華麗にグランドピアノを弾いています。フィリッポの奏でる音楽は、とても美しいものでした。その旋律に耳を澄ましているうち、マファルダは自分でも知らないうちに涙を流していました。

 

演奏会の後は立食パーティーがありましたが、フィリッポとマファルダは誰もいなくなったホールで話をしました。フィリッポはピアノの練習は好きじゃないと言いますが、マファルダにせがまれていざピアノを弾き始めると、とても楽しそうにピアノを弾くのでした。

 

パーティに戻った二人。マファルダのパパとママはフィリッポのお母さんと話をしていました。これをきっかけにして、家族ぐるみでの交流が始まることになりました。

 

学校の行事でスキー学習が行われることになり、宿泊所でマファルダはフィリッポの元カノだというエミリアという少女とその取り巻きに絡まれます。
フィリッポのことが好きなのかと聞かれても、マファルダには「好き」という感情がどういうものかよくわかりません。フィリッポと付き合うつもりなら覚悟した方が良いとも言われましたが、その「付き合う」ということもマファルダにはよくわかりませんでした。

 

スキー学校が終わってから、マファルダがエステッラにたずねると、エステッラはたいへん喜びました。

 

「(中略)恋っていうのはね、いつだってすてきなことよ。マファルダ、よく覚えておいて。だれでも恋はするの。男の子も・・・・・・」
 (中略)
「食いしんぼうの子も?」とわたしはたずねた。
「もちろんよ。食いしんぼうの子だって恋をするわ。おじいちゃんやおばあちゃんだって、遠くに住んでいる人どうしだって、悪い人だって・・・・・・」
「悪い人も?だったらドラキュラも?」
「そうね。ドラキュラにも奥さんがいた。ふしぎに思うかもしれないけれど、本当の話よ。だからこそ、恋はすてきなの。だれもが平等ってことでしょ。恋をすると、貧しい人たちは豊かになるし、豊かな人たちはもっとうれしくなる」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、176~177ページ

 

そしてエステッラは、自分自身もかつては愛した男性がいたことを話しました。いつの間にかお互いに『愛してる』と言えなくなったことも。
マファルダは、日記帳の「だれかを愛すること」という文章を黒い線で消しました。

 

 エステッラの説明をきちんと理解できたとしたら、子どもが生まれてくるためには、その子の父親になる人に「愛してる」と伝える必要がある。だけど、わたしには子どもを持つことができない。だって、暗やみでは赤ちゃんにミルクを飲ませられないし、おむつだって替えてあげられないもの。だから、ぜったいにだれにも「愛してる」って言わないようにしよう。

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、179ページ

 

マファルダの10歳の誕生日。お祝いをしてもらっていると、電話が鳴りました。受話器の向こうから聞こえてきた声は、エステッラでした。エステッラは病院に来ていると言います。マファルダがわけをたずねると、病院で働いている友だちに会いにきたのだとのことでした。そして、しばらく学校を休むことになる、とも。

 

その友だちを自分にも紹介してほしいというマファルダに、エステッラは「ぜったいに会わせたくない」と言います。素直に聞き入れるマファルダに、エステッラは伝えました。

 

「お誕生日、心からおめでとう、マファルダ。あたしの小さなお姫様」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、188ページ

 

エステッラのその声は、普段とは違ったとても奇妙な声でした。

 

その後しばらくして、マファルダとエステッラは学校で再会を果たします。エステッラに抱きかかえられるマファルダですが、ママやおばあちゃんに抱きしめられるのとはどこか違うものを感じました。心臓の音が、妙に近く感じる。スポンジケーキのような、そこにあるはずのふかふかしたものが、片方しかない――。

 

エステッラは言います。スポンジケーキのもう半分は、病院の友だちに持っていかれちゃったのよ、と。

 

やがて、マファルダの家は引っ越しに向けて荷物を少しずつ運びだすようになりました。実は、学校の近くに引っ越すことになったと前々から告げられてはいたのですが、マファルダは嫌で嫌で仕方なかったのです。

 

その日、学校ではエステッラの姿が見えませんでした。マファルダを見かけると、別の用務員さんがエステッラから預かっているものがあると言って手紙を渡してくれました。
しかし、マファルダは手紙を誰かに読んでもらわないといけません。必死でフィリッポを探しましたが、フィリッポにも会うことができませんでした。

 

帰宅すると、引っ越しの真っ最中でした。必死でママに頼み込み、ようやくママが手紙を開いて、声に出して読み始めました。
しかし、読み始めてすぐ、ママはそれ以上読めなくなってしまいました。声があまりにも悲しみに沈んでいます。マファルダにはわけがわかりませんでした。

 

手紙をママの手から奪い取り、家を飛び出すマファルダ。
みんなに見えているものが、どうして自分には見えないのか・・・・・・。焦る気持ちや苛立ちが、マファルダの心を締め付けます。気付けば、滂沱の涙を流していました。

 

学校の桜の木に登り、眠りに落ちるマファルダ。夢と現の間で、マファルダはエステッラと対話します。
やがて朝になり、マファルダは桜の木を滑り降りていきました。

 

ママもパパも、必死の思いでマファルダを探していました。ようやくパパがマファルダを見つけたとき、パパが言いました。もう二度と家出なんかしないと約束してくれ、と。

 

学校でフィリッポも待ってくれていました。マファルダは、新しく作り直したリストをフィリッポに見せます。それは、『とても大切なこと』のリストでした。

 

フィリッポはマファルダの字を判別するのに苦労しているようでしたが、休み時間に清書してやると言ってくれました。
その瞬間、マファルダは見つけたのでした。自分にとって不可欠なことを――本当の友だちを見つけること。そしてそれは、目の前にいるフィリッポなんだということ。

 

マファルダは、本を書くのも手伝ってほしいとフィリッポに伝えます。書き出しは決まっているのかと問いかけるフィリッポに、マファルダは笑顔で答えます。

 

「うん。こんなふうに始まるの。『子どもはだれだって暗やみがこわい・・・・・・』」

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、291ページ

 

最後に、エステッラからマファルダに宛てた手紙が紹介され、この物語は幕を閉じます。
その手紙には、うそがきらいなエステッラのありのままの生き方と、マファルダに向けたメッセージが綴られていました。

 

 マファルダ。また桜の木の上で会いましょう。どうか人生を思いっきり楽しんでちょうだい。
 いいこと?心の底から楽しむのよ。まるで毎日があなたの十回目の誕生日であるかのように。

引用元:パオラ・ペレッティ『桜の木の見える場所』(小学館)、294ページ

 

感想

読み終わってまず考えたのは、もしも目が見えなくなったら自分は一体どうなってしまうんだろうか、どうやって生きていけばいいんだろうかということです。

 

「やがて目が見えなくなる」という現実をわずか10歳にして突きつけられた少女マファルダは、あるリストを作っていました。
「とても大切だけどいつかできなくなること」。そこに書かれたものを、マファルダは一つ一つ黒い線で消していきます。
マファルダにとってそれがどれほど辛く、悲しみに満ちたものだったのか。マファルダの気持ちを考えると、あまりにも切なくて、胸が苦しくなりました。

 

マファルダは、何かをするには目が見えるということが何よりも重要だと考えていました。
しかし、そんなマファルダの考えはエステッラとの出会いによって少しずつ変わっていきます。エステッラ自身もまた、病気と闘う女性でした。

 

エステッラにとっては、見える見えないはそれほど重要ではありませんでした。
エステッラとの交流を通して、物語のクライマックス場面でマファルダはリストに付けたタイトルを変えています。「とても大切なこと」と。

 

・・・私たちはとかく自分の目で見ていることだけを頼りにしがちです。
今まで当たり前のように見えていたものが見えなくなるのは、誰だって怖いと思います。私も、怖いです。視力だけは失いたくないと、切実に思います。
もし自分が一生暗やみの中で暮らさなければならなくなるとしたら・・・大好きな本が読めなくなるのならいっそ死んだ方がマシだと、私なら考えてしまうかもしれません。

 

しかし、目が見えるということは、見たくもないものを見てしまうということでもありますよね。今のこのコロナ禍などは、まさに「見たくもないもの」の一つではないかと思います。
そう考えると、見えないほうが幸せなこともあるのかもしれません。(とても不謹慎なことを言っているとは自覚しております)

 

それに、目には見えなくても素晴らしいことはたくさん経験できるはずです。演奏会で美しい旋律にマファルダが涙を流したように。

 

「心の目」という言葉をよく耳にするようになりました。
いま自分が見ているものだけを信じるのではなく、大切なことを「心」で感じ、相手に寄りそうことができるような人間でありたいと私も思います。

 

最後に、内容紹介ではあえて触れませんでしたが、「桜」、「オッティモ・チュルカレ」、「コジモ」の三つの単語が、この物語では非常に重要な役割を果たしています。「桜」は本のタイトルにもありますしね。

 

気になった方は、ぜひ一読を。