読書感想:『プラハの春』
春江一也の『プラハの春(上)(下)』(集英社)を読み終わりました。
作者について
1962年外務省入省。68年チェコスロバキア日本国大使館に在勤中、「プラハの春」の民主化運動に遭遇。ワルシャワ条約軍侵攻の第一報を打電する。その後、在東ドイツ大使館、在ベルリン総領事館、在ジンバブエ大使館、在ダバオ総領事館に勤務。在外勤務当時の体験を基にした『プラハの春』でデビュー、反響を呼ぶ。著書に『ベルリンの秋』『ウィーンの冬』(中欧三部作)、『カリナン』『上海クライシス』がある。
内容紹介(ネタバレあり)
時は、1967年――共産主義に抑圧された生活の中、経済改革と自由への道を模索し始めたチェコスロバキアのプラハで、堀江亮介とカテリーナ・グレーベは運命的な出会いを果たします。
しかし、亮介は在チェコスロバキア日本大使館に務める二等書記官、カテリーナはDDR(ドイツ民主共和国、いわゆる「東ドイツ」)市民――加えて、カテリーナは元SED(ドイツ社会主義統一党)党員であり、DDRの反体制活動家でもあり、特務機関により監視される立場にあったのです。
東西対立の真っ只中にあって、二人の出会いは生命さえ脅かされかねない禁断のものでした。
互いの立場の違いを痛いほど思い知らされつつも、亮介とカテリーナは強く惹かれ合っていきます。
大学講師のシュテンツェルや亮介の同僚・稲村のように、二人の愛に理解を示してくれる人もいました。
様々な困難に直面しつつも、互いを思いやり支え合う日々の中で、チェコスロバキア情勢は悪化の一途を辿りました。
同盟国ソ連だけではなく、DDRとの関係も急速に悪化するのです。
そんな中、カテリーナはプラハ国際放送のラジオ番組『ミレナとワインを』のナビゲーターを務めることになりました。
『ミレナとワインを』は「プラハの春」を語るにふさわしい番組として新たに放送が開始されたものです。
表だった反ソ的な攻撃や社会主義批判は一切ないものの、その反響はすさまじく、やがて中欧全域で数十万の人びとがこの放送を聴くようになるのです。
この反響の大きさに、ソ連をはじめとした周辺諸国はチェコスロバキアへの警戒を強めました。
そして1968年8月――ついにソ連による軍事介入が決行されます。
亮介の前から姿を消したカテリーナは、地下放送を続けました。
亮介もまた、大使館員としての務めを果たすべく、ボロボロになりながらも日々を生き抜いていました。
やがてついに再会を果たした二人――愛する亮介に、カテリーナは自分の決意を伝えます。
その内容にはじめは拒否反応を示していた亮介も、カテリーナの覚悟と自分を想ってくれる愛の深さに、とうとうカテリーナの決意を受け入れるのでした。
8月31日、旧市街広場でチェコスロバキア市民たちとソ連軍とが睨み合っていました。
そこに現れるカテリーナ――カテリーナはソ連軍に対し、撤退を呼びかけます。
その時、群衆の中から飛び出してきた者がありました。
銃声の乾いた音が二発・・・カテリーナは亮介の目の前で、凶弾に斃れるのでした。
感想
本作は、1968年に起こったチェコスロバキアの改革運動「プラハの春」を題材にした恋愛小説で、筆者の実体験を元にして描かれています。
ノボトニー、ドゥプチェク、スボボダ、フサーク、ブレジネフ、ウルブリヒトなど、実在の人物もそのままの名前で多数登場します。
現在は、チェコ共和国、スロバキア共和国に分離独立していますが、当時は「チェコスロバキア」という一つの国でした。
ソ連共産主義の波がチェコスロバキアを抑圧していた時代――カテリーナのように、反体制活動家として身を投じる女性もいたのです。
東西冷戦は決して遠い昔の出来事ではありません。
東(共産主義)と西(資本主義)との対立によって世界が二分され、人びともまた引き裂かれ、暮らしも大きく変わってしまいました。
力と力のぶつかり合いがなぜ必要なのか。
なぜ人は、他を支配したがるのか。
こうした題材のものを読むたびに考えさせられます。
そして答えは、なかなか出ないままです・・・・・・戦争を知らない世代である私が「戦争はダメだ」「戦争は人を不幸にする」と言っても、ただの綺麗事にしか聞こえないのではないかと。
チェコスロバキアという国が辿ってきた歴史や周辺中欧諸国との関係など、私にとっては未知のことが多く、単なる恋愛小説にはとどまらない非常に勉強になる本でした。
「モルダウ(チェコ語では「ブルタバ」)」で知られるスメタナと、「新世界」で知られるドヴォルザークです。
「モルダウ」は学校の授業で習った方も多いと思います。
本作の中でも節々にその名が登場する「ブルタバ」。
ブルタバ川の情景を描いたこの曲は、聴けば聴くほどに涙が止まらなくなる美しい曲です。
また、チェコは文学も盛んで、作中でも「言葉の民」と何度も触れられています。
チェコの作家で有名なのは、『変身』のフランツ・カフカ、『兵士シュヴェイクの冒険』のヤロスラフ・ハシェクあたりでしょうか。(私自身は後者は未読です)
「言葉」によって自由を勝ち取ろうとした青年たちの姿が、作中でも描かれています。
武力を持たない市民にとって、「言葉」こそが大いなる力であり、最大の武器なのです。
それが分かっていたからこそ、共産主義の指導者たちは「言葉」の力を恐れ、弾圧へと踏み切ったのでしょう。
作中では、共産主義の実態についても事細かに描かれていました。
共産主義。誰もが平等に幸せになれる世界。
一見すると理想の社会のようにも思えますが、常に上に監視され、様々な自由が制限されるような社会は、やはり暮らしにくいのではないでしょうか。
そう感じるのは、私がいわゆる「西側」に生まれ育った人間だからなのかもしれません。