読書感想:『大地のランナー ――自由へのマラソン』
ジェイムズ・リオーダンの『大地のランナー ――自由へのマラソン』(すずき出版)を読み終わりました。
作者について
1936年イギリス、ポーツマス生まれ。児童文学作家、小説家。複数の大学で教え、ジャーナリストでもある。幼少期に戦争を経験し、若者と戦争をテーマとした作品を発表しつづけ、カーネギー賞、ホイットブレッド賞などにもノミネートされる。2002年には、南アフリカで開催されたオリンピック・コングレスで基調講演を行うなど、幅広く活躍。2012年死去。
引用元:ジェイムズ・リオーダン『大地のランナー ――自由へのマラソン』(すずき出版)
概要
マンデラ大統領の誕生とともに「虹の国」として生まれ変わった南アフリカ共和国。しかし、そこに至るまでには、あまりにも多くの血が流されてしまった。自由と正義を勝ち取るために――。南アフリカ共和国初の黒人オリンピック金メダリスト、ジョサイア・チュグワネの体験をもとにした、「走ること」でアパルトヘイトに闘いを挑んだ一人の男性の物語です。
内容紹介
サミュエル、通称サム。彼は、走ることが大好き。走ることが一番の特技であり、喜びです。近所の人たちや友だちからも一目置かれていたし、走ることが何よりの楽しみでした。
ある秋の日。サムの住むタウンシップでは、いつもとはどこか町の雰囲気が違っていました。聞けば、警察署へ行って身分証のことで抗議をするという。
この当時の法律では、白人以外の南アフリカ国民は「パス」と呼ばれる身分証を携帯させられており、住所や職業までもが管理されていたのでした。
警察署に集まる人びと。サムとその家族も集まりました。Tシャツにジーンズ姿の6人の若者たちが進み出て、大声で叫び始めます。
突然、ライフル銃を手にした制服姿の黒人警官の長い列が、鉄の門扉の外に現われました。
白人警官の命令により、若者たちに向けられる銃口。
まさか撃たないだろうと思っていた群衆の予想に反して、銃声が響きました。
あたりは一瞬のうちに戦場と化し、銃撃が繰り広げられます。
逃げるサム一家。しかし、父さん、母さん、幼い妹のサリーは、背中を撃たれてしまいました。
・・・気を失っていたサムが意識を取り戻すと、悪夢のような光景が広がっていました。血の海に横たわる死体。数え切れないほどの負傷者。
教会内に避難したサムはそこで、離ればなれになっていた長兄ルックスマートと次兄ニッキーを見つけます。次兄は脚をやられたようでした。
サムとルックスマートは、身分証の登録のため役所に赴きます。しかし、役所の所長は、身分証を突き返しながら冷たく言い放ちました。
「白人の役に立たない黒人は、部族別の居住地、ホームランドへ行くことになっている。それがこの国の法律だ」
タウンシップを追い出された兄弟は、ホームランドに住むサバタおじさんに手紙を書き、そのうちに返事がきてホームランドに移住することになりました。
出発の日、駅のホームで目的地に向かう列車に乗り込もうとしたサム。
客車の中に駆け上がった瞬間、気付いてしまいました。そこが白人専用車両だったことに。
あわてていたので、客車の入口に掲げてあった看板に気付くことができなかったのです。
下車しようとした白人女性は悲鳴を上げました。それを聞いて駆けつけてくる黒人車掌。
車掌は怒鳴りました。「おりろ、黒人のくせに!」
そしてサムの首根っこをつかみ、列車から引きずり下ろします。
車掌は取り乱している白人女性たちの方を向き、「すみません、バース。すみません、バース。」と謝り続けていました。(バースとは、アフリカーンス語で「ご主人様」といった意味)
この出来事は、サムが初めて、しかしはっきりとその身に体験したアパルトヘイトでした。
列車が到着し、サバタおじさんのもとに無事たどり着いた二人。サバタおじさんは集落の族長でした。
二人の兄弟はこの集落の一員として迎え入れられました。
やがて16歳になったルックスマートは、族長の力添えもあってまともな仕事に就きました。男の子は16歳になると、一人前の大人として扱われるのです。
サムはルックスマートを羨ましくも思いましたが、そんなサムにも時は流れていき、この土地を愛するようになります。
身体を鍛えることが趣味だった族長は、毎朝男の子たちを連れて走りに出ていました。サムもそこに加わり、いつしか族長とペースを合わせて走るようになっていました。
ある日、サムは右足首を痛めてしまいます。その痛みが少しずつよくなってきた頃、族長が見舞いにやってきました。彼はサムに告げます。
「サミュエル、おまえには長い距離を走る素質がある。もしかしたら、マラソンだって走れるかもしれんぞ」
サムは、「マラソン」という言葉を知りませんでした。これが、マラソンとサムとの初めての出会いでした。
族長は、話し始めます。オリンピックと呼ばれる競技会があること。その競技会がどうして生まれたのか。マラソンはいつから始まったのか。
サムはこの話に心を奪われました。
族長が続けます。時は1896年、アテネオリンピック。そこでのマラソン競技で起こった、様々なドラマ――。
族長の話を聞いたサムは、いつか自分もオリンピックのマラソンに出場してみせると誓ったのでした。
しかし、サムはまだ知りませんでした。南アフリカ代表として走ることは、白人にしか許されていないことを。
その後、サムは一人でさらに長い距離を走るようになります。
16歳の誕生日を迎えたばかりのある日、族長はサムを呼び出しました。将来についての話をするためです。
族長はここで、オリンピックについて再び話し始めました。
メルボルン大会で、マラソンで初めて優勝した黒人ランナーの話、アフリカの黒人として初めて金メダルをとった選手アベベ・ビキラの話。
話を聞いて、サムの頭の中は走ることでいっぱいになりました。
やがて、サムは妻を迎え、兄と同じように村を離れ、鉱山に働きに出るようになります。そこで、同い年の若者で同じく走ることが好きなシメオンと友だちになります。
少しずつ力をつけてきた二人は、1年もたたないうちに長距離ランナーとして認められるようになりました。
鉱山労働者の競技会に出場し、サムはこの大会で初めてマラソンに参加し、初めて優勝したのです。
二人は、なんでも話し合える仲でした。どうすればアパルトヘイトが終わるのか。二人とも、白人政府の人種差別政策を憎んでいました。しかし、やり方がわからない。
やがてシメオンはサム宛の短い手紙を残し、姿を消してしまいます。
シメオンは、銃をとることでアパルトヘイトと闘うことを決めたのでした。ANC、アフリカ民族会議とともに。
サムは決意します。
「おれは、この足で闘うよ。いつか、白人たちがおれたちと同じレースで走らなきゃならなくなったら、どっちが強くて速いか教えてやる」
サムが鉱山で働き始めてから3年後、その日がやってきました。
長い闘争の末についに白人政府が折れ、黒人指導者ネルソン・マンデラをはじめとするすべての政治犯が釈放されたのです。
サムもテレビでその瞬間を見ていました。長身で細身、白髪まじりの男が、刑務所の門を歩いて出てくる映像を。
これは、全南アフリカ国民の人生を大きく変える出来事でした。その後の1年でアパルトヘイトは急速にくずれ、1991年7月9日、ついに南アフリカはオリンピックへの復帰を認められたのです。
1992年のバルセロナオリンピックには、南アフリカからは人種制限のないチームでオリンピックへの参加が可能になったのでした。
しかし、サムはこの時21歳。まだオリンピックに出るにはあまりにも未熟だったのです。いつかオリンピックに出るために準備をしようと、決意を新たにするのでした。
1994年4月27日。南アフリカは運命の日を迎えます。全人種参加選挙。この選挙により、ネルソン・マンデラは大統領に就任し、南アフリカは「虹の国」への道を歩み始めました。
人種の壁がなくなったことにより、サムは国内のレースに白人選手たちとともに出場できるようになりました。
友好的に接してくれる白人選手もいれば、長年の差別はそう簡単にはなくならないと痛感する出来事もありました。
しかしサムは、走り続けました。それが自分にできる、唯一のことだったからです。
やがて、サムの成績は陸上競技連盟の目にとまり、オリンピックの前年、ホノルルマラソンのメンバーに選ばれました。
そして連盟の幹部たちは、南アフリカから出場するランナーの3人目として、当然のごとくサムを選びました。
1996年、アトランタオリンピック。サムのマラソン世界ランキングは41位。世界はあまり彼に注目していませんでした。
サムは走りました。足が重い。息がきしむ。追い上げられる。もうダメだ・・・。
それでも、サムは走り続けました。大統領のために。南アフリカの大地に生きるすべての黒人のために。
そして勝利への意志が突き抜けたとき、ついに彼は手にしたのでした。
栄光の金メダル――長い、果てしない闘争の果てに南アフリカが掴んだ、自由と正義という名の勝利の金メダルを。
オリンピックスタジアムでは、金メダルを握りしめたサムが、ネルソン・マンデラの自伝『自由への長い歩み』を思い出していました。
彼は、こうつぶやきます。
「赦してください、マディバ。言葉を少しいじってしまいました。わたしは、自由への長い道を走ってしまったのですから・・・・・・」
そっと微笑むサムとともに、この物語は幕を閉じます。
感想
まず一言、私はこの本を涙なしに読むことはできませんでした。
自由と正義を勝ち取るために、あまりにも大量に流された血――アパルトヘイトという人種隔離政策によって多くの人が苦しめられ、虐げられてきました。
そして、愛する祖国を取り戻すために闘った人たちがいました。
その痛み、悲しみは、私には想像することすらできません。想像したところで、何ができるわけでもありません。
サムは、走ることでアパルトヘイトに立ち向かおうとします。様々な紆余曲折を経て、ついに彼が手にした勝利の金メダル――。私はそこで目の前がにじんで文面が見えなくなりました。
オリンピックは、平和の象徴とよく言われます。
私も夢中でオリンピックの中継を観ていました。日本人選手が活躍するとやっぱり嬉しいし、あまり調子がよくないと、家の中でもつい声をはりあげて応援してしまいます。
オリンピックという舞台には、様々なドラマがあります。
メダルを逃してしまって泣きじゃくる選手に、ライバルであるはずの他国の選手が優しく声をかける。
転倒して動けなくなった選手に、レース中にもかかわらず手を貸しながら一緒に歩いてゴールへ向かう他国の選手。
選手たちは、誰もが自分の人生をかけて闘っています。でもそこには、単にメダルをとるだけじゃない、作り話みたいなほんとうの話が確かにあります。
オリンピックという場はまさに、マンデラ大統領の目指す「民族融和」が形になっているんだと思いました。
そんなオリンピックを批判する人もいるけれど、私は好きです。
2020年。本来はこの年に東京オリンピックが開催される予定でした。
コロナの影響で2021年に延期になり、その2021年も本当に開催できるのか誰もが疑問視しています。
私自身も、この状況の中では開催してほしいとは正直思いません。
でも、いつか、いつか必ずまた、世界の一流のスポーツ人たちが、世界一の熱い戦いを見せてくれることを心から祈っています。
・・・話は変わって、この本を読み終わって私が真っ先に思い浮かべたのは、2009年に公開された映画『インビクタス/負けざる者たち』でした。
アフリカのラグビーチームに焦点をあてており、アパルトヘイト撤廃後も未だ続く差別や経済格差の残る南アフリカ共和国において、マンデラ大統領がスポーツの力によって民族融和を目指していく内容です。
こちらもアパルトヘイトの描写があり、深く考えさせられる映画になっています。
興味のある方は、あわせて観てみてください。