行雲流水 〜お気に召すまま〜

好きなことを好きなように好きなときに書くブログです。

中国と私③

今日は、私の中国での2回にわたる留学生活の話をしようと思います。
でも絶対1回だけでは終わらないので、何回かに分ける予定です。

 

まずは、2006年(当時大学3年生)夏休みの短期留学から。

 

これは奨学金と、アルバイトのお金を使って自分で決めた留学でした。

 

インターネットで自分で留学エージェントを調べて、会社までカウンセリングに行って電話でやりとりして・・・
諸々の書類の手配やビザ申請とかの手続きは実際にはエージェントが代行してくれていたとはいえ、自分ひとりでいろいろ進めていたことを考えると、今の私からすると考えられないくらいすごい行動力だったなと思います(笑)

2005年に初めて中国の地を踏んで以来、約1年ぶりの中国でした。
2005年に来たときは大学のサークルとしての一週間の訪中だったけれど、今回は自分ひとりで、しかも1ヶ月間の現地滞在――。

 

不安がなかったのかといえば、そりゃあもう不安しかなかったです。
そんな緊張と不安ばかりだったのもあって、どうやって空港から寮に向かったのか、どうやって寮で手続きをしたのかとか、肝心のそこんところを何も思い出せないという・・・(苦笑)

 

とりあえず、寮はとても綺麗でした。
留学生向けに新しく建てられた寮のようで清潔感もあったし、部屋内にシャワーもあったので、生活自体は快適だったように記憶しています。
留学経験のある先輩や友人から聞かされたような、ボロボロの寮でお湯も途中で出なくなる、というようなことはありませんでした。

 

ルームメイトは韓国人でした。
最初私が部屋に入ったときは、二つある机や椅子、ベッドまでも彼女が全部私物化して使っている状態で、私が来ることも事前に知らされていなかったらしく、私が今日からここに住むということを知るなりブツブツ文句を言いながら大慌てで部屋を片付け始めました。

 

なんとなくその時点で、あぁこの子とは合わないかも・・・と予感はしていたのですが、残念ながらその予感は当たってしまい、結局このルームメイトとはろくに話をする機会もないまま留学期間を終えてしまいました。

 

いま考えると、理解し合おうという気持ちが双方に欠けていたんだと思います。
私は私で、緊張と不安しかない中で初日からいきなり初対面の人間にブツブツ文句を言われながら、しかもその言葉も韓国語だったので理解できるはずもなく、なんでいきなりこんな思いをしないといけないんだという気持ちでいっぱいになってしまったし、相手は相手で、事前に私が来ることを知らされていなかったということに加えて、日本人かよ?みたいな気持ちもどこかであったんだと思います。

 

もちろん最初に簡単な自己紹介程度の話はしたけれど、彼女も留学したてで拙い中国語だったのでお互いになかなか意思の疎通がうまくいかなかったこと、そして彼女とは生活の時間帯が違っていたこともあり、それ以上お互い歩み寄ろうとしなかったのが大きな原因だと思っています。

 

さておき。

 

私がこのときに留学していたのは北京語言大学です。
北京語言大学は早くから留学生向けの中国語教育に力を入れている大学で、多くの中国語教材を大学が出版していることでも有名です。

 

授業初日のレベル分けテストで私は上級クラスに入れられてしまったのですが、なんとなくクラスの雰囲気が悪かったのと(みんなプライドが高そうだった・・・ごめんなさい)、あまりにも周りの中国語レベルが高すぎてついていける気がしなかったので中級クラスに変更しました。

 

ここで出会ったひとりの日本人留学生によって、私の留学生活が大きく変わることになります。

 

なんと、その日本人留学生(男性)は私の友人の友人だったのです。
どんな偶然やねんと思いつつ、こんなに広い世界なのに世間は狭いんだなぁと感じた瞬間でもありました。

 

この出会いによってその後の留学生活の不安は一気になくなり、折あるごとに彼には助けてもらいました。
彼の友人の繋がりからまた新たな出会いに繋げてもらったりして、ものすごく視野が広がりました。

 

反面、その出会いについても多くが日本人だったので、慣れない土地で自分の母国の人と話せるということにすっかり安心しきってしまいました。
せっかく中国に来たのに日本人と日本語でばかり話すという毎日を送り、たった1ヶ月しかない留学なのに本当にもったいないことをしたなぁと思っています。
(しかし私のこの悪い癖は、その後の1年間の留学のときにも尾を引くことになるのですが・・・)

 

とはいえ、中国に来ていなければ絶対に出会うことのなかった人たちだと考えると、これも何かの縁なんだなぁと思うことにしています。

 

――さて、その当時の北京は再開発の真っ只中。

 

2008年に北京オリンピックを控えて北京中心部の変遷は凄まじく、超々高層ビルが建ち並ぶ中で、脇道を一本入るとただでさえ狭い路地に、狭い民家がひしめきあっていたりしました。

 

驚いたのは、乞食(という言い方が適切かどうかは置いといて)がいたこと。初めて目にしたときは、ただただ衝撃でした。

 

しかし、純粋な乞食(という言い方が適切かどうかは置いといて)ではなく「商売として」の乞食が存在すること、生活費を稼ぐために我が子を利用してわざと哀れっぽい姿をさせる(しかもこれがけっこう稼げる)のだという話を後で聞き、とても複雑な気持ちになったのを覚えています。
めまぐるしく発展を続ける北京という地で、中国の光と影を垣間見た気がしました。

 

そんな激動の北京での1ヶ月間はあっという間に過ぎてしまい、思っていたほど自分の語学力も伸びなかったことに後悔し、絶対またここに来ようと思いました。
そしてそれは1年後、交換留学という形で実現することになりますが、それについてはまた後日。

 

今思えば、この1ヶ月間は観光らしい観光とかほとんどしてなかった気がします。
んでもってどういうわけかこの期間に撮った写真が手元に残ってないんですよね・・・何かの拍子に消してしまったのか・・・

 

ということで、下の写真は2007年の留学時に撮影したものです。
撮影場所:北京市八達嶺長城(八达岭长城)。
いわゆる、万里の長城というやつですね。日本では八達嶺がたぶん一番有名?な長城です。

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これは長城に掲げられていた北京オリンピックのスローガン、「同一个世界 同一个梦想」。
意味はすぐ下に英語で書いてある通りです。日本語にすると、「一つの世界、一つの夢」といったところでしょうか(そのまんまやん)。

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良かったらこちらもどうぞ♪♪ 2005年の訪中について語っています。

akizuki-haruka.hatenadiary.com